【信仰×新考 うるおいプラス・心】逆境 祈りが支えに 福岡女学院の徳永名誉院長 祖父の自伝復刊

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祖父の著書「逆境の恩寵」を現代向けに復活させた福岡女学院名誉院長の徳永徹さん

 キリスト教系の大学、中高などを運営する福岡女学院(福岡市南区)の名誉院長、徳永徹さん(87)が、著書「逆境の恩寵(おんちょう) 祈りに生きた家族の物語」を刊行した。祖父の徳永規矩(のりかね)(1861~1903)が明治時代に出版し、信仰書のベストセラーとなった自伝的作品を、現代向けに表現を変えるなどして復活させたという。国立予防衛生研究所(現感染症研究所)の所長を務めた基礎医学の研究者が、信仰に関する本を今あらためて世に問うた思いを聞いた。

 ‐出版のきっかけは。

 院長や理事長などを18年務めた女学院を退職後、祖父の書き残した資料などを読み返すうち、祖父が抱いた思いや願いを、今の人にもぜひ伝えたいと思うようになった。

 不条理な逆境を生きざるを得ない人は現在もたくさんいる。例えば治療法がない難病の患者。その人のせいではないのに、つらく厳しい人生を歩まなければならない。祖父も、当時は死の病だった結核を患い、43歳で亡くなるまで長く病床で喀血(かっけつ)を繰り返し、赤貧生活を続けた。それでも、やがては、わが子のために遊びを考案したりして、時に笑い声に包まれる家庭生活を楽しんでもいた。それを支えたのはいちずな信仰の力だった、という事実を読み取ってもらえればと思っている。

 ‐多くの人は信仰や宗教を縁遠く感じている。

 実は祖父が入信したのは、英語を学ぶため入った学校がキリスト教主義の教育を行っていたことがきっかけだった。最初は「宗教というものは愚かな男女を教え諭すための方便。天国とか地獄とか根も葉もない作り話で、幸福を願う心や苦難を避けたい恐怖心を利用し、人々を悪から遠ざけようとするものだ」などと疑念を書き連ねている。

 誰もがそうかもしれない。私自身、信仰から遠い時代が長かった。中学2年のとき太平洋戦争が始まり、軍人になるつもりが、手りゅう弾をうまく投げられず教官に叱責(しっせき)されてばかり。父に「人が殺し合っている時代だから、命を助ける仕事をしたら」と諭され、医学の道を志した。しかし、結核を患って落ちこぼれ、戦後、一変した価値観にもついていけず、九大医学部に進学はしたものの鬱々(うつうつ)とした日々を過ごしていた。

 そんなとき、身内の勧めで教会に足を運び始め、私を真正面から受け止めてくれた牧師さんとの交わりの中で洗礼を受けた。自分ではどうにもできない境遇に直面して初めて、信仰というものが受け入れられる。理屈ではなく、内面で一つの飛躍が起こる。これはキリスト教に限った話ではないと思う。

 ‐自然科学と信仰の関係に矛盾はないのか。

 医学者が非科学的なことを言うと思われるかもしれないが、時にむなしさを感じるような研究の国際競争に打ち込めたのも、決して人生はむなしくないぞと教えてくれる信仰が支えになった。人事を尽くしても、それを超える事態には必ず出合う。そのときは安んじて神に委ねる。信仰を生理学的にとらえれば、人間の大脳は「善い信仰を持てるのなら、それは持った方がいいよ」と自然に考えるようにできているのではないか。そして、それは「神がそのように創(つく)りたもうた」と言ってもいいのではないか。科学と信仰は対立、矛盾する関係ではないと思っている。

 ▼「逆境の恩寵」 熊本出身の実業家徳永規矩の著作。名家に生まれ、学校設立や各種事業を手がけていたが、結核に感染し壮絶な闘病生活を送った。死去の翌1904年、いとこの小説家徳冨蘆花が仲介し、病床での思いなどをつづった文書をまとめて出版された。海老名弾正や内村鑑三らが序文を書くなど注目され、明治、大正、昭和3時代にわたり再版が続いた。新著は1800円(税別)。新教出版社=03(3260)6148。


=2015/03/13付 西日本新聞朝刊=

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