【和食力】茶料理 もてなしの心 香りや季節感 五感で味わう

茶料理のお節を味わう中国、インドの留学生たち。右奥に立つのが料理を振る舞った谷晃館長 拡大

茶料理のお節を味わう中国、インドの留学生たち。右奥に立つのが料理を振る舞った谷晃館長

 ほんのり甘い白みそ仕立ての雑煮が京都らしい。黒豆、数の子、田作り…。テーブルにお節料理が並ぶ。「雑煮のニンジンや大根の形がきれい。鶴と亀の意味があるのも面白い」。中国人の林嘉さん(27)が目を丸くした。

 京都府木津川市のマンションで食卓を囲むのは大東文化大(埼玉県)の講座「茶と食の文化学」を学ぶ留学生5人。指導する滝口明子准教授(比較文化史)が茶の湯の専門家、野村美術館(京都市左京区)の谷晃館長に解説を依頼。谷館長は伝統的な茶料理のお節を夫妻で振る舞った。

 できたての料理が次々に運ばれる。焼き物はサワラの幽庵(ゆうあん)焼き。しょうゆ、酒、みりんを同量ずつ合わせた漬けだれに数時間漬け込んで焼いた。最初に考案した江戸時代の茶人名に由来するとされる。煮物は芋まんじゅうのくずあんかけ。穴子とユリ根などが入った手の込んだ一品だ。クワイの揚げ物、山芋ののり巻きなどが続いた。

 「小さい皿に別々に料理が盛られ、それぞれの器に用途がある。全てがすご
く丁寧です」。中国人の鄭兵さん(24)は、谷館長のたてた抹茶のまろやかな泡にも驚きながら話した。

 伝統の味を堪能する留学生たちに谷館長が言う。

 「日本料理のルーツは茶料理にあるんです」

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 茶料理とは、茶会でお茶の前に出る簡単な食事を指す。現在は「懐石」という。修行僧の食事が朝と昼だけだった時代、温めた石を懐に入れて空腹をしのいだとの言い伝えから、質素な食べ物を指した。

 谷館長によると、茶会に麺や餅などの料理が出始めたのは16世紀。飯と汁が膳に載るようになり、17世紀には二の膳が加わる。主に禅寺の細かく定めた料理の形式を取り入れながら、武家社会が室町時代(14世紀)に成立させた「本膳料理」の膳を用いるスタイルなどとも混ざり合って形づくられた結果という。

 18世紀以降に江戸や京都に料理店が誕生し、互いに影響し合いながら「茶料理の伝統が料亭などの会席料理に受け継がれることになった」。

 一方、多くの料理を載せた1人用の膳が客の前に並ぶ本膳料理のスタイルも現代に連なり、結婚式など正式な場での料理として残ることになる。

 日常の家庭料理の基本的な献立である一汁三菜は、平安末期-鎌倉初期の絵巻「病草紙(やまいのそうし)」に描かれた庶民の食卓にその原型を見ることができる。

 「日本文化のいろんなジャンルを詰め込んだ、飲食を扱う世界で唯一の芸能」(谷館長)である茶の湯。千利休が16世紀末に完成するわび茶の簡素さや静寂の境地を重んじる価値観は料理にも通じた。そこには素材、季節感、香りなどを大切にし、五感を総動員して味わう懐石の特質が生まれる。現代の和食の底流にも息づいているのではないだろうか。

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 一つ一つ食べ終わるごとに出される手の込んだ料理に日本酒も加わって、留学生たちの会話も弾んだ。「旬の素材を使ったり食べやすいように魚の骨を抜いたりする調理法だけでなく、料理を運ぶ『間』までも大切にすることを教わった」。モンゴル族中国人の李吉日木〓(〓は「くにがまえ」の中に「冬」)(リジリムト)さん(34)は「心配り」という言葉を何度も口にして感想を伝えた。

 「料理はお金を掛けずに手間を掛けるものです」。谷館長の言葉に全員がうなずく。今に伝わる和食の「おもてなし」に食卓はいつまでも和んだ。

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【ワードBOX】禅と食

 鎌倉時代の禅僧・道元は寺で食事を担当する僧「典座(てんぞ)」の役割を示す「典座教訓」と、厳格な食事作法を定めた「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」を著した。食材を集め料理することは座禅と変わらない「行」と述べ、細かい点まで気配りして真心を込める大切さを説いた。食べることも「行」とした。食文化を研究する熊倉功夫・静岡文化芸術大学長は「日本の食事文化の中にどこか精神論が潜むのは、こうした禅の影響ともいえる」と語る。


=2015/03/18付 西日本新聞朝刊=

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