博多ロック編<239>パンクロックの波

ロンドンの「モッズ」=「エンジェル・ウィズ・スカーフェイス」より 拡大

ロンドンの「モッズ」=「エンジェル・ウィズ・スカーフェイス」より

 1977年は「パンク元年」と言われる。英国のバンド「セックス・ピストルズ」がファーストアルバム「勝手にしやがれ」をリリースした年だ。シンプルなサウンドに斬新なファッションはパンクブームを起こし、その波は日本にも押し寄せた。

 2期「モッズ」は「パンク元年」に結成された。ボーカルの森山達也は自著の中で次のように記している。

 「オリジナルを作らなきゃいけないと考えた時、ちょうどパンクが出てきて…簡単に言えば、ビート感をもっと速くやろうってこと。それでオリジナルも作れるようになった」

 パンクロックがオリジナルを作る上の引き金になった。パンクロックはサウンド的に複雑化、ファッション的にも派手になった70年代ロックに対して「もっとシンプルにやろう」というムーブメントであった。

 「モッズ」のベース、北里晃一は博多ロックの源流である「サンハウス」のライブもよく観(み)に行った。楽曲を作るとき「サンハウスのあの曲のように」と仲間たちで口にしたこともある。博多ロックの第2世代にとって「サンハウス」の呪縛は少なからずあった。北里はパンクロックによって「解放された」とも言った。

 パンクロックの音楽的特徴はブルース色が薄まり、よりスピード感を持った、とも言われる。

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 パンクファッションの一つの形は逆立てた髪に革ジャンだ。北里は当時のエピソードを語った。

 「髪を固めるのにさまざまな都市伝説があってね。果汁100パーセントのオレンジがいいと聞いて試したことがあったな」

 「革ジャンも当時、ぴったりくるものが博多にはなく、仕方なく『皮ジャンパー』を買ったことがあった」

 森山も自著の中で次のように記している。

 「中古の革ジャンを買ってジーパンを破ったりTシャツを破ったりして」

 森山が「歌心を知っている」と言う山部善次郎もパンクバンド「ドリル」を結成するなど博多のバンドにも多大な影響を与えた。

 「モッズ」は81年、ロンドンでレコーディングしたアルバム「ファイト・オア・フライト」でメジャーデビューした。「ファイト・オア・フライト」は危機に直面したときに「戦うか、逃げるか」という状況を指す言葉だ。

 「モッズ」はパンクという新しいスタイルを武器にして困難の状況に戦いを挑んだ。その戦いは現在進行形である。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/03/30付 西日本新聞夕刊=

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