博多ロック編<240>立ち見の成立

 バンドが成長していくには練習する場所がいる。バンドとそれを支援するライブハウスは二人三脚の間柄である。

 1970年代、「サンハウス」を生んだのはロック喫茶「ぱわぁはうす」だった。空いた時間を使えるように合鍵をバンドに渡した。「ぱわぁはうす」の空間を引き継いだライブハウス「ダークサイド・ムーン」は「フルノイズ」などの拠点だった。

 「ザ・モッズ」の基地になるのは79年にオープンしたライブハウス「80’sファクトリー」だった。店長の伊藤エミによれば、開店してまもなく、「モッズ」の森山達也と北里晃一が酔っ払って店に訪ねてきた。

 「おれたちも出してくれ。店を満杯にできるから」

 「いいよ」

 伊藤は言った。店ではひと月に1回、アマチュアバンドのオーディションをしていた。「モッズ」に関してはオーディションなしでステージに上がった。ただ、すぐには満杯にはならなかった。

 「最初のころは20、30人くらいだったと思う。約束通り満杯にしなければ次は丸刈りだからね」

 伊藤は冗談気味に言ったことがある。徐々に客は増えた。客席のスタイルを一変させたのは「モッズ」だった。当時、ライブハウスは席に座って観(み)ているのが普通だった。椅子を取っ払い、スタンディング(立ち見)の形を博多で成立させたのが「モッズ」だった。伊藤は言う。

 「集客力もあるが、それよりもモッズには勢いがあり、ノリの部分でスタンディングの形ができあがった」

 ×    ×

 「80’sファクトリー」は昼間も営業していたこともあった。「モッズ」がレギュラーになったときはたまたま夜だけの営業だった。昼間の時間は空いていた。

 「昼間、練習に使わせてほしい」

 「モッズ」の提案に、伊藤は「いいよ」と合鍵を北里に渡した。モッズは毎日、練習した。北里は言う。

 「ファースト、セカンドアルバムの曲の多くはこの時代に作った」

 伊藤は小さなエピソードを覚えている。店の料理用の酒とつまみに出すポップコーンの減り方の異常さに気づいた。伊藤は「モッズでは…」と思った。真偽は定かではない。他のバンドかもしれない。ただ、ポップコーンで空腹をしのぎながら日々、練習に明け暮れる若きロッカーたちの風景を垣間見ることができる。

 「サンハウス」と「ぱわぁはうす」。「モッズ」と「80’sファクトリー」。70年代と80年代と時空は違うが、バンドの成長をライブハウスは見守った。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/04/06付 西日本新聞夕刊=

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