【平和教育を考える】戦争 祖父母から孫へ つらい記憶 伝えやすい距離感

核兵器のない世界を願い、毎年8月9日、長崎市で開催される平和祈念式典。かつては平和祈念像に向かって平和宣言文が読まれていた 拡大

核兵器のない世界を願い、毎年8月9日、長崎市で開催される平和祈念式典。かつては平和祈念像に向かって平和宣言文が読まれていた

 「あの戦争について亡くなった父は、息子の私には多くを語らなかった。でも、妻や孫にはいろいろ語っていたんですよ」

 「戦争を物語る父の遺品を誰に託そうか…。娘に話を向けても、つれない返事だった。でも、高校生の孫に話したら、興味を示してくれてね」

 戦後70年、証言取材をしていると、そんな言葉をよく耳にする。

 家々に刻まれた「戦争」をどう語り継ぐか。体験者の高齢化が進む中、戦後70年の節目は、そのラストチャンスといえよう。

 体験や証言の継承は「父母から子へ、そして孫へ」が理想だ。しかし、現実には「父母から(子を飛び越え)孫へ」の伝言が有効ということなのだろうか。

 東京大大学院の西村明准教授(宗教文化論)が、鹿児島大准教授だった5年前。大学1年生を対象に興味深い授業をしていた。

 核兵器廃絶に向けて毎年8月9日、被爆地・長崎市の平和祈念式典で表明される「長崎平和宣言」。学生たちに配布されたプリントには、その式典風景を伝える新聞掲載写真が年代ごとに並べられていた。この写真(画像情報)から、どんなことが読み解けるか、考えてみようという。

 最初はみんな、ぴんとこない様子だったが、やがて一つの変化に気付く。市長は1950~70年代、平和祈念像に向かって宣言文を読み上げていた。だが、80年代からは参列者に向かって宣言文を読み上げるようになる。語り掛ける方向が反転する。

 平和宣言文を、だれに向かって、何のために語り掛けるのか。その視点で追跡検証すると、死者へのメッセージから、生者へのメッセージへの転換が80年代に起こっていたことがうかがえる。

 西村さんによると、人は厳酷な戦争の記憶を、シズメ(心に鎮める)とフルイ(奮い起こす)といった感情を交錯させながら、月日をかけて整理していく。そして、慰霊にとどまらず、体験を自分たちや次世代がどう生かしていくのか、未来志向型に捉え直していく転換点があるのだという。

 ずっと語れず、心の奥底に鎮めていた記憶を、語ろうとする瞬間があるのだろう。その対象は、遠慮や痛みが伴う子どもより、むしろ、これからの時代を生きる孫であり、孫たちもその心情を感じているのかもしれない。

 子どもたちと一緒に新聞をつくる本紙の紙面「もの知りタイムズ」。戦後70年企画として3月、小中学生がおじいちゃんやおばあちゃんから空襲、引き揚げ、戦時下の暮らしなどの話を聞き、記事にした特集を掲載していた。

 孫たちから見ると、戦争はもう曽祖父母たちの時代に入っている。その体験を祖父母たちが伝えている。戦争を語る「つらさ」「勇気」「強い思い」を、孫たちはそれぞれに感じ取り、つづっている。

 特攻隊員だった亡き祖父の人間像を謎解きしていく小説「永遠の0」の主人公も孫たちだ。近すぎず、遠からず、そして家族。戦争という重たいテーマの伝達には、世代間の一定の距離が必要なのかもしれない。

 平和学習の学びの場は学校ばかりではない。実はそれぞれの家の中に眠っている。こんな離島や山里にもと思える地にも、必ず戦争は刻まれている。「もっと、聞いておけばよかった」。証言取材ではそんな言葉も繰り返し聞かれる。語り部のおじいちゃん、おばあちゃんは身近にいる。


=2015/04/07付 西日本新聞朝刊=

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