【問う語る】(1)の1 原発新設「まだある」 岸本英雄・玄海町長

▼きしもと・ひでお建設会社「岸本組」役員を経て1995年の統一地方選で佐賀県議に初当選。3期目途中、2006年から佐賀県玄海町長に転身し、現在2期目。父は佐賀県議会議長、自民党県連会長を歴任した。 拡大

▼きしもと・ひでお建設会社「岸本組」役員を経て1995年の統一地方選で佐賀県議に初当選。3期目途中、2006年から佐賀県玄海町長に転身し、現在2期目。父は佐賀県議会議長、自民党県連会長を歴任した。

 「精神的にめいってました。あれと同じものがきたら、あれ以上のパニックになるだろうと」

 九州電力玄海原子力発電所を抱える佐賀県玄海町。人口6400人。岸本英雄町長(58)は町長室でインタビューに応じ、福島第1原発事故当時の心境を振り返った。

 「(原子力について)怖い部分を考えまいとしてきたんですよ、日本人は」。そう話す岸本氏だが昨年7月、全国の原発立地自治体の先陣を切って玄海原発2、3号機の再稼働に同意した。直後、当時の菅直人首相の判断で安全評価(ストレステスト)実施が決まり、同意を撤回する。今、玄海原発の未来を語る。

 「震災前(最も古い)1号機の廃炉を(九電に)進言したいと思ってました」とする一方で、こう続けた。「廃炉となると、代わる電力をつくり出さんといかん。となると(原発の)新設しかない。将来にわたって考えていく必要性は、私はまだあると思いますね」

 今、原発の新設を求める首長は全国でも他にいないだろう。一人の人間としてひとたび事故が起きれば町が離散してしまう福島の惨状に衝撃を受けながらも、町長として「新設」を語る岸本氏。揺れる心中に何があるのか。

 -昨年夏の段階でなぜ、原発の再稼働に同意したのですか。

 「電力を必要とする夏を前にして玄海町民の誇りは、九州の、大都会の福岡にも北九州にも電力を供給しているということだったんですね。東北や関東にも電力を供給してやらなきゃいかん。原発は百パーセント安全じゃない。(地震の多い)太平洋岸の原発はたぶん動かないだろうし、(日本海側の玄海原発の再稼働は)そろそろ容認していいのではないかと」

 しかし、多くの国民が町に注がれる原発関連交付金、原発マネー、九電マネーに目がくらんでいると受け止めた。

 「原発マネーとか言われると心外です。原発誘致のときは小学生。何もない町で、同級生は『金の卵』と呼ばれながら高校に行かないで関西関東に集団就職した時代でした。7割が集団就職。駅に見送りに行って泣きながら、こういう地方では嫌だなあ、どうにかならないかなあと。そういう暗いものを原発が少し取っ払ってくれた」

 だが、日本海側で大地震が起きない保証はない。東日本大震災で知見を超えた事態が起こり得ることを思い知らされたはず。岸本氏自身、佐賀県議時代の2000年、核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)で臨界事故が起きた際には「原子力は何が起きるか分からない」と安全対策について県議会で厳しく追及していた。

 「あの時は勉強不足でした。この2千年間、(玄海町一帯では)大きな地震、津波の経験がない。古文書にも出てこない。地盤もしっかりしている。専門家に聞いても、15メートルなんて津波が来るはずがないと。国を信用せざるを得ないでしょう」

 国への過信、依存-。

 しかし、昨年7月、その国が安全評価実施を発表し、岸本氏の再稼働同意表明が宙に浮く。

 「海江田(万里経済産業相=当時)さんは『申し訳ない。われわれの失態だ』と電話をくれました。菅(直人首相=同)さんも電話してきましたけど、文書に書いてるような通り一遍のことを言ってガチャッと切ったから、この野郎!と思ったですよ」

   *   *

 脱原発依存を実現し、日々の暮らしの電力をどう確保していくのか。方向を定められない現状をどう打破していくのか、キーマン(重要人物)に問い、考える。

=2012/02/29付 西日本新聞朝刊=

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