【九電 九州考】(6)の2 安全、安価な供給どう実現

競争を促すため、電力会社の発電所と送電部門の分離について、経産省が本格的に検討を始めた=昨年12月下旬、熊本県の九州電力苓北火力発電所 拡大

競争を促すため、電力会社の発電所と送電部門の分離について、経産省が本格的に検討を始めた=昨年12月下旬、熊本県の九州電力苓北火力発電所

 研鑚(けんさん)ここに20年/きびしい試練乗り越えて/ここ原子野は値賀崎(ちかざき)に/ああ黎明(れいめい)の鐘はなる-

 1977年末。佐賀県唐津市内で開かれた玄海原発1号機竣工(しゅんこう)感謝祭で披露された「黎明の鐘」という歌の一節だ。当時の九電社長、永倉三郎氏が原発PRのため発案し、レコードにもなった。歌詞からは「原子の火」を九州に初めてともした九電と地元の高揚感が伝わってくる。作詞したのは佐賀支店総務課社員。古川康・佐賀県知事の父である。

 九電が原発に積極的になったのは、地域特有の理由もあるという。

 九州は、本土の送電線とつながっていない離島が多い。島内ではディーゼルエンジンの発電所で電気をつくり、各世帯に送電。島々に設備を造り、少数の世帯に送電するため効率が悪く、九電は離島だけで毎年約150億円の赤字を出す。その赤字を補い、九州域内で同一の電気料金にする「ユニバーサルサービス」を維持するためにも、低コストで黒字を生む原発を推進してきたとしている。

 九電は玄海1号機以降、約30年かけて計6基の原発を造った。2007年に就任した真部利応(まなべとしお)社長は、全国初のプルサーマル導入や国内最大の川内原発3号機増設計画など、「国策」にまい進してきた。福島第1原発事故が発生するまでは、11年度中にも、7基目の原発建設に乗り出す考えだったとみられている。

 01―02年、電力各社でつくる電気事業連合会の筆頭副会長だった当時の鎌田迪貞社長(現相談役)は、発電事業者の新規参入を促すため、電力会社の発電と送電部門の分離を検討していた経済産業省に抵抗した。「発送電を分離すると、黒字が見込める地域に参入が集中し、赤字が確実な離島へのユニバーサルサービスを担う会社が消える」

 結局、鎌田氏らの巻き返しで、電力会社の地域独占は維持された。

 国は今、再び発送電分離など抜本的な制度改革を検討している。原発の安全対策の不備ややらせ問題で電力会社に市民の厳しい視線が注がれていることが背景にある。

 九州の原発は全6基が停止。日本のエネルギー政策は混沌(こんとん)としたまま、本格的な電力供給不足が懸念される12年夏が刻一刻と近づいている。

 やらせ問題で九電との「不透明な関係」を批判された古川知事はいま、「そうした批判だけは受けないようにしたい」と距離を置き、原発の再稼働についても「これまで以上に国がきっちり判断しないと、(地元に)丸投げされても判断のしようがない」と、冷めた視線を送る。

 九州の隅々まで電力を安全に安く、安定的に供給するにはどうしたらいいのか。九電が抱える難題は、そのまま九州の難題でもある。九電と九州は、ともに考えていくしかない。

=2012/01/06付 西日本新聞朝刊=

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