博多ロック編<242>青春グラフィティ
陣内孝則監督による映画「ロッカーズ」は2003年に公開された。陣内がボーカルをしていたロックバンド「ザ・ロッカーズ」の青春グラフィティであり、陣内の自伝的映画である。陣内は映画の記者会見で次のように語っている。
「高校時代からやっていたバンドのメンバーの一人、谷信雄がバイク事故で他界した時、無名のままで逝った彼の名を残せるものを作ろうと思った」
夭逝(ようせい)したギタリストの谷に捧(ささ)げるオマージュでもあった。映画の中では谷の遺品になったギターが実際に使用されている。
陣内は博多弁でもサービスしながら語っている。
「とにかく、ライブシーンが艶。お客さんをばちくりまわすような、映画。目ん玉から涙ばほじくりだすすごい映画」
脚本は陣内が書いた自伝的小説「アメイジング・グレイス」(98年刊)をベースにしている。
映画の「ロッカーズ」のタイトルは最初、活動していた福岡市のライブハウス「80’sファクトリー」の名前で構想されていたようだ。店長だった伊藤
エミは言う。
「タイトルに使わせてください、との話があり、了承したが、その後、タイトルは変わったと連絡を受けました」
映画の中では伊藤をモデルにしたと見られる役を小泉今日子が演じている。
ただ、伊藤は「映画を見ていない」と言う。
× ×
「ロッカーズ」は1976年、陣内が高校2年生のときに結成した。78年には2期「ロッカーズ」になり、82年に解散した。メジャーデビューが80年、プロとしての活動はわずか2年間だ。そのサウンドのようにロックシーンを速く駆け抜けたバンドだった。
陣内は自著の中でどういうバンドを目指したかを挙げている。5項目全てに「博多一」が付いている。
○スピードの速いバンド○ワン・ステージの曲数が多いバンド○ライブが熱いバンド○ボーカルの衣装やメイクが派手なバンド○キレるとケンカの強いバンド。
メジャーデビューへの足掛かりはヤマハ主催のロックコンテスト「Lモーション」だった。1年目の九州グランプリは「モッズ」、2年目が「ロッカーズ」だった。幸運にも2年目のグランプリには関東地区大会のゲスト出演の特典があった。
10分のステージに4曲を詰め込んだ。演奏後、楽屋をノックしたのはキャニオンレコードのディレクターだった。
「あのパワーとスピードはちょっと他じゃお目にかかれない」
陣内はメンバーを楽屋外に出し、一人で交渉した。
=敬称略
(田代俊一郎)
=2015/04/20付 西日本新聞夕刊=