がばい旋風 夢再び 監督としていつか甲子園へ 佐賀北高の元マネジャー真崎貴史さん(22)

 「ライト、行くぞ!」。秋風が吹き始めた佐賀北高校(佐賀市天祐2丁目)のグラウンドに、若い臨時コーチの声が響く。この秋、教育実習で母校に戻ってきた東京学芸大4年、真崎貴史さん(22)=東京都小金井市。「今日結果が出なくても焦るなよ」。厳しい指導の合間に、部員を優しく励ます。同校がドラマチックな熱戦で夏の甲子園大会を制し、“がばい旋風”を巻き起こしたのは2007年。当時3年生だった真崎さんは、マネジャーとしてベンチにいた。高校時代の3年間、一度も華やかなスポットライトを浴びることはなかった。全国に無数にいる、そんな元野球部員の一人である。

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 小学3年で野球を始めた。佐賀北高に進み、甲子園を夢見て野球部に入ったが、練習になじむ間もなく、4月末に股関節を故障した。診断は全治1カ月。「当然、復帰するつもりだった」。しかし、療養中に裏方を手伝ううちに、「地味な印象が強かった」マネジャーの見方が変わった。「人を動かす魅力やチームをつくっていく面白さが分かってきたんです」。6月、転向を決意した。

 選手の居残り練習に付き合い、帰宅後は打率計算やスケジュール管理に追われた。2年の夏に県大会初戦で敗れた後は、選手のサポートにさらに力を入れた。そして迎えた07年、夏の甲子園。

 初戦突破で波に乗り、2回戦は延長十五回引き分けの再試合で勝利した。準々決勝は延長サヨナラで劇的勝利を収め、決勝は強豪・広陵(広島)と激突。八回、3点差で迎えた一死満塁。3番打者が放った打球は、左翼スタンドに飛び込んだ。息詰まる沈黙の後、球場は地鳴りのような歓声に包まれ、真崎さんはベンチで泣き崩れた。

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 「まさか、こんな立派な野球選手になって帰ってきてくれるとは」。百崎敏克監督(55)は、再び「kitako」のユニホームを着た真崎さんの姿に目を細めた。07年のミラクル進撃を支えた「陰の功労者」と百崎監督がたたえる真崎さんは、大学で野球部に入り、選手として返り咲いた。

 昨年の東京新大学野球連盟(6校)の春季リーグでは打率3割4分3厘を記録し、外野手としてベストナインを獲得。今年は春季リーグが打率2割と振るわなかったが、6月以降コーチとしてもチームを引っ張っている。

 舞台裏にいた高校時代への後悔はないのか-。質問をぶつけると、真崎さんは即座に否定した。「大学で選手に復帰したのも、マネジャー時代に野球に対する視野が広がり、『もっとうまくやれる』と思ったから。それに仲間の大切さも高校時代に学ぶことができた」。07年の夏、仲間とともに初めて甲子園のグラウンドに立った瞬間の感動は今も鮮やかだ。

 「一面に広がる真っ青な空、高い外野スタンド、緑の芝。全てが新鮮で鳥肌が立った」

 限られた者しか見ることができない光景を、後輩にも見せてあげたい。真崎さんは来春、大学院に進んだ後、いずれは高校教諭として郷里の佐賀に戻り、野球部の監督を目指すつもりだ。

この記事は2011年09月30日付で、内容は当時のものです。

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