漫画「クッキングパパ」30年 記念対談 うえやまとちさん(作者)-佐々木喜美代さん(元タウン誌編集長)

自宅に隣接した仕事場の専用キッチン。クッキングパパに登場する料理は、ここでうえやまとちさんが試作する 拡大

自宅に隣接した仕事場の専用キッチン。クッキングパパに登場する料理は、ここでうえやまとちさんが試作する

漫画「クッキングパパ」を素材に、食や暮らしについて語り合った、うえやまとちさん(右)と佐々木喜美代さん

 ●生活に根差す作品を/料理するきっかけに 
 福岡を主舞台にした人気漫画「クッキングパパ」(講談社、週刊「モーニング」掲載)が5月、連載30周年を迎える。主人公の荒岩一味(あらいわかずみ)が、営業マンとしてバリバリ仕事をこなす傍ら、玄人はだしの手料理で家族や周囲を笑顔にしていく物語。作品からうかがえる、食とは、家族とは、暮らしとは。作者うえやまとちさんと、うえやまさんのデビュー当時からの理解者だった元タウン誌編集長、佐々木喜美代さんに語り合ってもらった。

 ◆山村生活が原点に

 -お二人が知り合われたきっかけは、タウン誌「シティ情報ふくおか」の関係だったのですか。

 うえやま 25歳くらいだったかな。上京してデビュー後、いったん福岡に帰ってきてね。編集部にふらっと立ち寄り、何か仕事ないですかって。

 佐々木 そうそう。良かけど、お金やら出ませんよってね。代わりに夕飯くらいはということで、編集部に出入りする若い人たちと一緒に近所の食堂から出前を取って。そんな調子で挿絵やイラストなどを描いてもらったけど、独特のタッチが面白いなあと思ってた。何を頼んでもノーと言わんやったよね。

 うえやま でも、あるとき、イラストはやめますと断った。当時、月間カレンダーのページの縁取り部分を一周する50コマ漫画も描いていて、やってるうちに、あ、これはページ物の作品になるぞとか、ひらめくようになり、これからは漫画に集中しようと思ったんだね。すると折良く週刊誌からオファーが来た。

 佐々木 それで、浮羽町(現福岡県うきは市)での山村生活を描いた「大字(おおあざ)・字・ばさら駐在所」が始まったんだっけ。

 うえやま いや、曲折があって。その週刊誌の仕事は原作者が別にいて、結局は人気が出ず、半年で打ち切られた。いろいろ思うところがあって山にでもこもるかと考え、縁あって浮羽で暮らし始めた。そしたら漫画の素材が転がっていて、架空のばさら村という設定で作品にしたら、出版社の目に留まったんだ。

 -クッキングパパの構想は、そのころから?

 うえやま 山村暮らしをしながら、ああ、自分が目指すべき方向は生活に根ざした漫画だな、と思うようになっていた。

 佐々木 確かにSFとか、流行の最先端とか、無理って感じだったね。

 うえやま ばさら駐在所の後、用意した作品は全部ボツ。たまたま、お父さんが子どもをおんぶして掃除している姿を描いた落書きを見た編集者が、これがいいと言いだしてね。主人公はサラリーマン、とても料理などしそうにないゴリラみたいな顔という設定になった。

 -当時としては、珍しい作品世界ですよね。

 佐々木 バブル景気が始まる時期で、そうした時代の空気とは正反対の、いわゆるダサい世界。でも、そのダサさがかえって良かったんじゃないかな。

 うえやま 昔、音楽アルバムのタイトルに「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というのがあったけど、さっそうとスーツを着てライバルを蹴落としていく男じゃなくてもいいじゃないか、仕事はしっかりやるけど、子どもの担任の名前をフルネームで言え、自分で家庭ごみを出し、育児も普通にやる、そんな男もかっこいいじゃないかと思ってね。基本的には人間肯定、性善説的な作品にすることにした。

 -逆に「かっこ悪いことはなんてかっこいいんだろう」ですか。

 佐々木 私は、人をかっこいいか悪いかの観点ではなく、信じられるかどうかで見ますが、やたらと話が大きくなる人や、勝ち組負け組とか言う人は、基本的に信じない。信じられるのは、地に足がついた、現場の日常が分かっていて、まっとうな金銭感覚があるとか、職人かたぎの人です。荒岩もとちも、そういう信頼できる人ですね。

 うえやま 以前、超人的なプロのスナイパーが世界を駆け巡る「ゴルゴ13」の作者、さいとう・たかを先生が「漫画というのは非日常を描いてこそ」と語りながら、僕の顔を見て「あ、君はそれでいいよ」って言ったことがあってね。「ばさら駐在所」の世界が原点となって、ゴルゴとは対極のほのぼのとした日常を、徹底して描き続ける覚悟を決めた。そこにこだわりはある。

 ◆今こそ自分で作る

 -うえやまさんが自分で料理をするようになったきっかけは。

 うえやま 僕が高校3年のとき、父が仕事の関係で引っ越すことになり、いろいろ大変なんで母も付いて行くことになって。兄は大学2年、弟は高1だったけど、あんたたちはもう自分でやれるでしょと。1年間、子ども3人で暮らしたんだけど、当然、食事は自分たちで作るようになる。まあ、カレーばかり作って、飽きてきて、ルーをみそに代えると豚汁ができたりとか、そんな感じ。

 -必要に迫られたのですね。

 うえやま 当時は近くにコンビニもファミレスもなかったから。腹が減ったら自分で米を炊き、野菜を炒めるしかない。それ以前も、母はたまに僕たちに卵焼きなどを作らせることがあったし、父も自分で釣った魚をさばいたり、週末は母と一緒にチャンポンを作ったり、丼物は俺の方がうまく作れるとか言ってやったりしてましたし。その影響もあったかな。

 佐々木 自分で食事を作れるって、とても大事ですよ。今、さまざまな地域コミュニティー活動に携わっていて気付くのは、朝起きられず、朝食を食べない子どもが本当に増えているということ。貧困などで親も大変。帰宅しても状況は同じ。子どもにとって唯一のちゃんとした食事が学校給食というケースもあります。

 だから中学校で、親に頼らず自分で作れということで、生徒に真剣に料理を教えているところがあるんです。まず親の支援をというんじゃ間に合わない。自分で料理できるようになれば、とにかく食べられるという切羽詰まった話。だから、クッキングパパを読んで、料理をしたくなったという子どもが1人でも出てきたら、それはすごくラッキーなことだと思います。一度身に付けた料理の腕は一生もの。これは男も女も関係ない、生きる力ですよ。

 うえやま 一日3回しっかり食べる。しかも、いやいやじゃなく、楽しく、というのが大切だね。

 佐々木 そこで、東京などで地域食堂という取り組みが始まっています。地域の有志が空き店舗などを活用し、自宅できちんとした食事を取れない子どもに300円ほどの格安料金で食べさせる試みで、学生ボランティアが宿題の相談に乗ることもあるんです。地域に、親が共働きの子も、1人暮らしの高齢者も一緒にご飯を食べられる場を作れたらと思いますね。そこで子どもが自分で料理してもいい。クッキングパパの荒岩も、定年退職したら、地域食堂を開いて料理したり、人材を育てたりするといいのでは。

 うえやま なるほど。300円あれば、それなりに料理は作れる。簡単、安上がり、おいしいが、作品の基本テーマだからね。

 ▼うえやま・とち 1954年、福岡市生まれ。本名は上山俊彦(うえやまとしひこ)。週刊「モーニング」の企画で「クッキングパパ」が入賞し、85年5月に連載開始。関連本を含む累計発行部数は3600万部を超える。作中のレシピは、実際に自分で料理を作って描いている。他の代表作に「大字・字・ばさら駐在所」=写真=などがある。福岡県福津市在住。

 ▼ささき・きみよ 福岡市生まれ。1976年創刊のタウン誌「シティ情報ふくおか」の編集長、発行人などを務め、タウン情報の発信を通じ、福岡の若者文化や地域コミュニティーづくりを応援してきた。2006年に福岡市広報課長に起用されるなどし、現在はNPO法人「アジアン・エイジング・ビジネスセンター」上席研究員。


=2015/04/24付 西日本新聞朝刊=

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