【コーヒー日和 福岡の街角で】(2) 変わらぬ店であり続け

焙煎機の前で、豆の仕上がり具合を確認する中村さん。味を大きく左右するだけに、表情も真剣 拡大

焙煎機の前で、豆の仕上がり具合を確認する中村さん。味を大きく左右するだけに、表情も真剣

レトロな外観のカフェ・ブラジレイロ

 レトロな白い洋風の館が見えてきた。「昭和」を感じさせるたたずまい。福岡市で最古の喫茶店「カフェ・ブラジレイロ」は、JR博多駅から歩いて約20分。同駅から北西へ延びる大博通りから一筋裏に入った博多区店屋町にあった。

 運動不足がたたり、息を切らせて店内に入ると、中村好忠代表(75)がハハハと笑った。

 「どっからですか。あっ、記者さん。いやいや、うちは古いから、歴史を知りたくて県外や遠くは関東から、おみえになるお客さんが結構おりますよ」

 創業79年を迎える。1934(昭和9)年4月、ブラジルコーヒーを宣伝するため、サンパウロ州のコーヒー局が開業したのが出発点。場所は今の店から700メートルほど離れた那珂川沿いの中洲にあった。時代が戦時色を帯びる中、白いクロスのテーブルに革張りのいすが置かれた店内では、作家の火野葦平や原田種夫らが集まり、1杯15銭のコーヒーを片手に論を交わした。

 建物は44年に空襲に備え避難地を造るため撤去された。コーヒー一筋で生きてきた当時の代表で父安衛(やすえ)さん(故人)は諦めなかった。戦後の46年に再建した。

 再開の朝の様子は鮮明に覚えている。店を取り囲む長蛇の列ができた。「コーヒーに2年のブランクがあったから、みなさん味に飢えていたでしょうね」

 父から店を継いだのは34歳のときだった。商人の街は活気があった。繊維問屋があちこちにあり、店内は経営者の語らいの場所だった。

 〈調子はどげんね〉

 〈またゴルフに行こうや。負けんけんね〉

 店は戦後の復興のシンボルで愛称は「レイロ」として親しまれ、景気も上々。ただ、物流が発展するとともに、問屋が姿を消し、90年代に入ると、全国チェーン店のカフェが進出してきた。

 焦りはなかった。「変わらない店であり続けるために、変わる努力が必要。老舗こそ革新の連続ですよ」。これまでにない味を生み出すため、アフリカや南米の希少な豆も取り寄せた。

 研究の場所は同区内の自宅。玄関から部屋まで豆袋が山積み状態。2基の焙煎(ばいせん)機で焙煎しては、何度も何度も試飲を繰り返した。飲みやすさを重きに4種類の豆を配合して、まろやかなブレンドなどを開発した。

 「豆の焙煎は自分でやらんと気が済まん。まだ工夫の余地がある。面白くて面白くて」

 コーヒーの世界に飛び込んで半世紀。今は福岡市喫茶業組合理事長も務める。「いい店が出てきている。ラーメンに屋台、もつ鍋だけじゃない。福岡にはうまいコーヒーがあってうらやましいと言ってもらえる街にしたい」

 市内の喫茶店数は、81年の2092軒から、2009年には682軒まで減少。その波をくい止めるためにも、まずは自分の店をより成長させなくてはいけない。今、開業当初の看板メニューの復活を思い描いている。父がわずか2種類の豆でつくり出したコクと苦みがある“幻”となったブレンドだ。

 「しゃれたカフェが増えた一方で、喫茶店に郷愁を感じる方も増えている。ならば先代のブレンドを再現してみたいという思いがある」

 古希を過ぎても飽くなき向上心で伝統を守ろうとする。そんな姿を見ているうちに、新たな歴史を刻もうとする2人の若者の顔が浮かんだ。

=2013/02/28付 西日本新聞=

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