博多ロック編<243>お寺でレコーディング

ロッカーズ」(右端が穴井)=音楽雑誌「ブルージャグ」の表紙から 拡大

ロッカーズ」(右端が穴井)=音楽雑誌「ブルージャグ」の表紙から

 「ロッカーズ」のベース、穴井仁吉はある痺(しび)れを持って初めてレコーディングしたことを思い出す。

 「本当に痺れましたね。すぐに立てないくらいでした」

 キャニオンレコードからのデビューが決まり、録音は千葉県・観福寺の本堂で行われた。穴井は言う。

 「まさか、お寺とは。レコード会社の戦略もあったと思うが、本堂の音響の良さも考えたことでしょう」

 痺れたのはプレッシャーのことでも本堂の音響のすごさでもなかった。録音前にお寺からの座禅と説教があった。その座禅に足が痺れたのだ。ようやく座禅が終わろうとしたときにギターの谷信雄が一言、住職に問うた。

 「悟りってなんですか」

 その一言で座禅の時間が延びた。

 「こんなときに、言い出さなくても…」

 穴井をはじめ他のメンバーは思った。こうしてアルバム「フー・ザ・ロッカーズ」がリリースされたのは1980年である。

 ×   ×

 穴井は中学3年生からベースを弾いていた。衝撃的なロック体験は72年、高校1年生のときの福岡市・九電記念体育館で開かれた「フォーク・ロックコンサート」だった。高田渡、頭脳警察などの東京組を迎え撃って地元から「サンハウス」が登場、一気に盛り上がった。

 「サウンドだけでなく、このときは会場全体が興奮してステージに駆け寄った。パワーのあるすごい世界だと思った」

 穴井は78年に「ロッカーズ」に参加する。「モッズ」から中学、高校の同級生の後藤昌彦(ギター)へ誘いがあった。後藤から「一緒に行ってくれ」と穴井は頼まれた。天神の喫茶店に行くと後藤を「モッズ」に紹介した陣内孝則もいた。後藤は「モッズ」に入り、その席で穴井は陣内から「一緒にやらないか」と言われて「ロッカーズ」に加わった。

 穴井は「ロッカーズ」の解散(82年)前に抜けた。穴井は「マーキーズ」「アクシデンツ」「ルースターズ」「シーナ&ロケッツ」など多くの博多のバンドに参加している。

 「共通項に博多のビートがあり、それほど戸惑うことはなかったです」

 陣内が監督した映画「ロッカーズ」は観(み)た。

 「当時の青春をそのままに描いていました」

 「ロッカーズ」はリーダーの陣内の個性を反映して派手で明るく、陽気なバンドだった。無邪気性を含めてその特色の出た映画ではあるが、「ロッカーズ」だけでなく当時の博多ロックの一面を描いた作品でもある。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/04/27付 西日本新聞夕刊=

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