【少年院のいま】(5)帰る場所 福祉の助けも借りて

 また、断られた。京都医療少年院(京都府宇治市)の精神保健福祉士今井真美(49)は、ヒロシの引受先を探していた。親は拒否。九州にも足を延ばして作業所やグループホームを訪ね、電話もかけたが駄目だった。法務教官の枡井督也(38)にヒロシはつぶやいた。「切ないっすね」。枡井は胸が締め付けられた。

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 ヒロシは、知能は高いものの対人関係がうまく築けないなどの特性がある広汎性発達障害と診断されていた。強制わいせつなどで14歳で入院。当初は「自分は神だ」と言い張ったが、前向きに取り組み順調に進級した。寮のリーダーとして、なじめない子の相談にも乗った。母親は面会には来ていたものの「怖いし、家では無理です」と繰り返した。

 子どもを保護する観点から、少年院は刑務所と異なり、収容期間を終えても引受先などが決まらないと出られない。障害や病気がある子には福祉との連携も必要だとして、3年前から一部の少年院に今井のような福祉職が配置されるようになった。

 今井の苦労のかいあって、ある施設が引き受けてくれたのは昨年。ヒロシは18歳になっていた。収容期間は1年の予定だったが、行き先がないというだけで4年もかかった。

 少年を受け入れる更生保護施設は全国に数カ所しかない上に、健康で働けることなどの条件があり、病気や障害の子には難しい。

 別の少年院では、軽度知的障害の子が14歳から17歳まで入院した。家庭は崩壊。非行内容が性犯罪だったため施設も嫌がった。社会福祉士は、少年に未成年後見人をつけて1人暮らしができるようにし、ようやく出院にこぎ着けた。「社会に帰れないのは、彼の責任だろうか」。この社会福祉士は問い掛ける。

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 「お母さん抜きに、息子さんの今後は考えられないのよ」。中津少年学院(大分県中津市)の社会福祉士山里洋子(66)=仮名=は電話口で優しく話し始めた。相手は知的障害などがあるサトシの母親。電話をかけても出ないため、かかってきた機会を逃さなかった。

 家を訪ねると、足が不自由で家事もできない母親は閉じこもっていた。「体がしんどいとき、手帳があればヘルパーさんが来てくれるわよ」。山里は母親に、精神保健福祉手帳を取得する手続きを教えた。福祉の助けを受けたことで、サトシは家に帰ることができた。

 「少年の再犯防止のためには、孤立する親にも手を差し伸べないといけない」と山里は言う。

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 元法務教官の男性が大切にするはがきがある。昭和48(1973)年の消印。少年院を出た摂食障害の子が「先生にもう一度会える日が来ると良いのですが」とつづっていた。少年はその後、関係がうまくいかない家族のもとで命を絶った。

 同じ経験をもつ医療少年院の医師も痛感する。「受け入れ態勢さえ、整っていたなら…」

 京都医療少年院は、少年たちが院を出た後に関わる医療や福祉、保護観察などの人たちを集め、出院後の生活を検討する会議を重ねている。少年が社会に戻っても様子を確かめる会はあり、今井も出向く。「少年はもがいている。私たちも、もがかなければ」 (敬称略、少年は匿名)

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 ▼少年院の福祉職 2009年7月から京都医療少年院と関東医療少年院に精神保健福祉士が、特殊教育課程のある中津少年学院、宮川医療少年院(三重県)、神奈川医療少年院に社会福祉士が配置された。11年からは榛名女子学園(群馬県)と帯広少年院にも社会福祉士を配置。法務省は今後、他の施設にも広げる方針だ。09年から福祉職を導入した大人の刑務所には一部に常勤の社会福祉士もいるが、少年院はいずれも非常勤。雇用は1年契約で就労時間も週単位で制限があり、改善を求める声もある。


=2012/11/10付 西日本新聞朝刊=

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