キャバレー編<119>博多パラダイス 女性だけのビッグバンド

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中洲をよく知る知亜子

「開店通知」のジャケット

 福岡市博多区中洲の人形小路に「味処 あらき」という店がある。女将(おかみ)の知亜子は1枚のシングルレコードをカウンターに置いた。A面のタイトルは「開店通知」(テイチクレコード、作詞・永井ひろし、作曲・遠藤実)。歌っているのは「あいはら美実」。女将の20歳ころの芸名である。

 「遠藤実さんの一字をもらいました」

 レコードと一緒にアイドル風なポーズを決めたブロマイドもあった。4年間、東京で歌手として活動していた時代の思い出のアルバムである。

 「スイング系の歌が好きでしたが、可愛(かわ)い子系の歌謡路線でした。キャンペーンで全国を回りました」

 福岡を離れたのはこの時だけで、26年前に今の店を出す前はキャバレー「上海」「チャイナタウン」などで歌っていた。女将の印象に今でも強く残っているのは同区築港にあった「博多パラダイス」だ。

 1964年に開業した「博多パラダイス」は博多ポートタワーを目玉にした遊園地、温泉施設などを揃(そろ)えたレジャー施設だった。温泉施設には舞台があり、専属バンドを抱えていた。

 「今、考えると嘘(うそ)みたいで、女性ばかり二十数人のビッグバンドでした。みんな上手(うま)かった」

 女将が知り合いの推薦でこのバンドのオーディションを受けた。山本リンダのヒット曲「こまっちゃうナ」を歌った。バンドの一員となった。寮生活だった。

 「年齢が高いとギャラがいいので、18歳とごまかしました。本当はもっと若かった」

 それでも7、8人いた歌手では一番下だった。ステージでは先輩たちが歌いたい曲や衣装を先に取った。

 「自分の歌いたい曲を思い切り歌いたいので、禁止されていたキャバレーに行ったりしていました。ラーメン屋でアルバイトして好みの衣装を買ったこともあります」

   ×    ×

 このバンドには1、2年いて、中洲のキャバレー、クラブなどのステージに立つようになった。

 60年代から70年代、キャバレー、クラブなどの全盛期、中洲とその周辺には500人近いバンドマンがいた、といわれる。まさに、音楽都市であった。

 その中にはメジャーデビュー前の高橋真梨子、大塚博堂などがいた。高橋は1歳のとき、ジャズメンの父親と一緒に広島からジャズが盛んだった福岡市に移り住んだ。女将は高橋とよく話をした。「独特の情感を持った歌手だ」と高橋の才能を評価していた。

 女将と話しているとその声量から「あいはら美実」をうかがい知ることができる。「声量だけでなく、顔もでしょう」。女将は笑った。

 「開店通知」は有線で聴くことができる。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/06/26付 西日本新聞夕刊=

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