キャバレー編<121>少女歌劇団 5年間の舞台生活

博多パラダイスのステージ(下)歳の貝島 拡大

博多パラダイスのステージ(下)歳の貝島

 福岡市城南区の貝島君子(70)がカセットテープをかけた。
 
 〈花の博多の新名所 行こよ回転東洋一のタワー輝く…ほんによかとこ博多パラダイス〉

 歌っているのは梶麻海。貝島の芸名である。

 回転式展望台を目玉に大浴場、ホテル、遊具施設を備えたレジャーランド「博多パラダイス」が同市博多区築港に開業したのは1964年だ。

 そのホテルの大広間にはステージがあり、専属の「博多パラダイス少女歌劇団」のショーも客には人気だった。

 開業の5カ月前。長崎でバスガイドをしていた貝島は歌劇団募集の広告を見て、応募した。

 「芸事ができると思いました。でも、芸事を習ったことがありませんでしたが」

 書類審査、面接に合格して一員になった。1期生は25人。百道の寮生活に入った。朝から夕方まで日舞、洋舞、楽器の練習。貝島が選んだ楽器はトロンボーンだった。

 「どれを選んでもよかった。みんな素人だったから。兄がトロンボーンを吹いていたのでそれを選んだ」

 団員のうち22歳の貝島が最年長で、班長になった。ただ、団員からは本名より「お母さん」と呼ばれていた。

 毎日、昼間と夕方の2ステージをこなした。1ステージは洋楽、歌謡などを7、8曲。その間には踊りも入った。

 貝島はトロンボーンのほか、歌、踊り、司会をこなした。特別公演の杉良太郎、佐川満男などの司会を担当したこともある。歌劇団は外のイベントにも参加、長崎のキャバレー「銀馬車」にも出演した。

    ×   ×

 貝島の手元には博多パラダイス時代の写真が多く残っている。ショーの台本をはじめ、テープ、そして貝島へのファンレター。黄ばんだ69年3月の給与明細書には「22908(円)」。

 「衣装も会社持ち。食事も寮で食べたからそれなりに十分でした」

 歌劇団が経営難から解散するのはその翌月。5年間のステージ生活が終わる。

 「最後のステージは泣きながら歌いました。スギノイパレス(大分県別府市)から団員へ誘いがありましたが、ほかの人も行かなかったようです」

 貝島は舞台から離れたが、団員の中にはキャバレーのバンドなどに転職した人もいる。貝島は15年前に「城南市民吹奏楽団」に入り、しまい込んでいたトロンボーンを再び手にした。定期練習のほか年に3、4回、アマチュアのステージに立つ。

 「もう一度、ステージに立ち、音の中に自分がいることに満足感を覚えました。周りは若い人が多く、今も歌劇団にいるようです。私の顔は自分で見えないから」 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/07/10付 西日本新聞夕刊=

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