キャバレー編<122>スター誕生 封印した2枚のレコード

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川崎がリリースした2枚のアルバム

 1970年代、歌手のオーディション番組「スター誕生」があった。このテレビ番組から山口百恵、中森明菜、森昌子など多くのスター歌手が育っていった。この決勝大会で優勝した一人が福岡県春日市の川崎節子(61)だ。

 「ステージ慣れしていたところも評価されたのでしょう」

 川崎は当時、審査員の西郷輝彦が絶賛したことを覚えている。川崎の言う「ステージ慣れ」とは福岡市の築港にあった「博多パラダイス」の少女歌劇団で歌っていたからだ。

 優勝してすぐにクラウンレコードに所属し、東京で生活を始めた。芸名は草香セツコ。「泣き虫さくらんぼ」でプロデビューした。テレビ、ラジオ出演のほか北島三郎、水前寺清子などの前座として全国を回った。

 翌年秋にはコロムビアレコードへ移り、浅ゆきの芸名で2枚目のレコード「あとはごめんなさい」をリリースした。作詞は阿久悠だ。

 「レコーディングには阿久先生も立ち会い、アドバイスをもらいました」

 スターにはならなかった。「根性がなかった」と言うが、芸能界の水が合わなかったようだ。あちこちのキャバレーでも歌った。芸名もレコードジャケットの写真も作られたものだ。

 「自分の本当の姿ではないと思った」

 欲がなかった、といえるかもしれない。2年間のプロ生活の後、福岡に戻り、会社員になった。プロ時代を封印した。

 「今まで子どもたちにもレコードを出していたなんて言ったことがない。昔の曲を歌ったこともない」

    ×   ×

 プロ歌手へ導いたのは「博多パラダイス」だった。

 川崎は築港近くに住んでいた。遊び場だった埋め立て地に「博多パラダイス」の施設が少しずつ形になるのをいつも見ていた。

 16歳のころ、金網越しに施設のプールサイドで歌劇団のショーをみた。「あのように歌いたい」と思っていたら「中へ入って」と声を掛けられた。「明日、おいで」と言われ、オーディションを受けて歌劇団の最年少メンバーになった。

 「歌のレッスンなど厳しかったですが、同世代の女の子ばかりで苦にはならなかった」

 その生活の中で、歌の先生が「スター誕生に出てみなさい」と言ったのだった。

 現在、川崎の手元にある自分の2枚のレコードは最近、歌劇団仲間の貝島からもらったものだ。

 「歌劇団の同窓会で、仲間に会うのが楽しみです」

 プロの2年間より、歌劇団の2年間が川崎の胸に深く刻まれている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/07/17付 西日本新聞夕刊=

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