キャバレー編<124>ゴンドラ 豪華で華やか 舞台装置

「弾くのは洋楽だけ」と話す藤木 拡大

「弾くのは洋楽だけ」と話す藤木

 福岡市中央区のピアノバー「ステラ」のマスター、藤木五郎(66)は「自分の本名は周りもあまり知らないでしょう」と言った。「五郎」という名前で40年以上、同市中洲でピアノとともに生きてきた。

 熊本県・天草生まれ。中高時代は吹奏楽部でサックスを吹いていた。高校卒業後、福岡でサラリーマンになったが、会社勤めが肌に合わず、2年で帰郷した。天草にも小さなキャバレー「天草」があった。

 故郷の楽器仲間から「演奏しないか」との誘いがあり、バンドマンになった。兄はすでに中洲のキャバレー「リド」のフルバンドで演奏していた。その兄から「ピアノが空いたから出てこないか」と連絡があった。天草での2年間のバンドマン生活に見切りをつけ、再度、福岡へ。兄は「天草四郎」をもじって「四郎」と呼ばれていた。その弟だから「五郎」という名前がいつしか定着した。

 楽譜は読めた。ただ、実際にはピアノをあまり弾いたことがなかった。

 「毎日、1時間は昼間にキャバレーのピアノで練習した。その日弾くピアノのパートだけを必死に覚えました」

 歌謡曲からジャズ、シャンソン…。ショータイムでは淡谷のり子やディック・ミネなどの伴奏をしたこともある。

 五郎が驚いたのは「リド」というキャバレーの舞台装置だった。ステージ、ダンスフロアにもセリがあり、上から降りてくるゴンドラもあった。

 「すごい仕掛けでしたね。接客の女性たちも100人以上。華やかさの極みでした」

   ×    ×   

 「リド」からディスコ「ナイトパレス」、さらにクラブ「アイアン」などに移っていく。「アイアン」ではピアノ、ベース、ドラムのトリオ演奏だった。「ここで本格的にジャズの勉強をしました」。そこで働く女性たちの美しさは今でも記憶に残っている。

 「オーナーが中洲中のクラブを回って、女性たちを引き抜いてきた。このことがクラブの女性たちの給料をあげることなった、と聞いています」

 その後、時代は生バンドからカラオケ時代に入り、バンドマンたちの仕事は徐々に減っていった。五郎もまた、カラオケに追われ、50歳で自分の店「ステラ」を持った。

 毎日、ピアノのライブがある。ただ、歌謡曲を弾くことはない。すべて洋楽だ。歌謡曲をリクエストされると「楽譜がないので」とやんわり断る。「そこだけは筋を通してます。それを崩すと店の個性がなくなるから」

 五郎の特技は30年前から趣味でやっている手品だ。カウンターの上の小さなショータイムだ。これを目当ての客も少なくない。

 キャバレー、クラブの黄金時代は五郎にとって、今思えば手品にも似たマジックのような空間だった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2012/08/07付 西日本新聞夕刊=

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