キャバレー編<125>駆け落ち おおらかな時代の中で

最初に買ったサックスを手にする新田 拡大

最初に買ったサックスを手にする新田

 福岡市西区の新田はるお(65)と夫人の東代子が関東から福岡に駆け落ちしてきたのは、はるおが20歳のころだ。はるおはサックス1本、東代子はトランク一つだった。

 「大阪で働くつもりでしたが、駅に着いたら雨。福岡まで行こうか、という話になった」

 はるおは「福岡にはいいジャズミュージシャンがいる」と聞いたことがあった。加えて二人はともに熊本県出身で、九州が引き寄せたかもしれない。

 二人が出会ったのは静岡県・熱海のホテル内のクラブだった。はるおはバンドでサックスを吹き、東代子は東京からの社員旅行で客として言葉を交わした。東代子は「この人の背が高かったから」と言うが、故郷の共有感もあったにちがいない。はるおは自衛隊員からそのクラブのバンドボーイになり、ようやくステージに立ったころだ。

 博多駅から中洲に直行。はるおはキャバレー「チャイナタウン」に飛び込み、バンドマンとして雇われた。東代子は「チャイナタウン」の下の階にあったキャバレー「赤い靴」で接客するようになった。店側は二人が駆け落ちだと知ると「アパート代に」と10万円の支度金を出した。

 東代子には固定給があったが、驚いたのは客からのチップの風景だった。

 「財布ごと渡して、タクシー代だけ残して後は抜いていいよ」

 「銀行口座を教えてくれ。振り込むから」

 はるおも中洲近くのアパートから毎日、タクシーで通い、運転手にチップを渡した。とにかく景気のいい時代だった。

 おおらかな時代でもあった。楽屋裏からよく楽器が消えた。

 「夜逃げするバンドマンが他人の楽器を勝手に質屋に売ったりした。バンドマン専用の質屋がありました。楽器を盗まれても警察に届けることもなく他のバンドマンの楽器を借りて、その日のステージをこなしていました」

 はるおは「チャイナタウン」の後は「リド」を経て「ドミナス」に移り、そこではバンドマスター(バンマス)になった。

 福岡の大キャバレーでは最後の「ミナミ」が1995年に閉店したが、規模の小さいキャバレー「パラディウム」などは続いていた。そこの店のバンド「マンボキングス」のバンマスがはるおのキャバレー史の中では最後のステージだった。

 はるおは現在、自らの音楽事務所「オールド・リバー」で作曲、編曲、CD製作などの仕事をしている。手掛けたCDはすでに100枚以上ある。だが、自分のCDは一枚もない。

 「いつか納得のいく自分のCDを出したい」

 どんなアルバムになるのか。そこには駆け落ちから始まった二人の長い旅路への思いがメロディーになるだろう。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/08/14付 西日本新聞夕刊=

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