キャバレー編<129>一ベル 自作のアルバム、発売間近

「キャバレーのおかげです」と話す植原 拡大

「キャバレーのおかげです」と話す植原

 福岡市と北九州市で音楽事務所を構えるピアニスト、植原健司(49)はキャバレーのバンドマンとしては最後の世代といえるかもしれない。

 「先輩のバンドマンたちはみな個性的で、人間的でとっても面白かった」

 22歳のころに、この世界に入った。初日、緊張気味で楽屋に行った。バンドマンたちは花札をしたり、本を読んだり、眠っていたり…。

 「本番に向けて、準備の音合わせや譜面を確認したりと予想していました。私は譜面を見て練習してました」

 「一(いち)ベル」は「本番ベル」の5分前に鳴る。「一ベル」が鳴ってもみな動かない。「本番ベル」で動きだす。

 「本番ではみな息がぴったり合っていました。間違ったのは私でしたね」

 戦後のキャバレー文化をけん引した先輩たちの実力を、その時に知った。

 キャバレーの衰退期、演奏の合間にストリップなどお色気ショーもあった。「譜面は覚えておけ」と言われたことがあった。その意味は演奏しながら譜面は見ずに、そのステージを見ろ、との先輩のアドバイスだった。

    ×   ×

 植原は神戸市生まれ。両親の離婚によって高校から母方の里に帰ってきた。母がオペラをやっていたこともあって、3歳のころからピアノを習った。高校ではブラスバンド部に属し、アルバイトとして当時、流行しはじめた電子ピアノの宣伝のため、楽器店などで弾いていた。

 「音楽で生きていくことしか考えなかった」

 その活動の場の一つがキャバレーだった。植原はライブハウスのハコバンドだったが、「トラ」の仕事で数え切れないほどのキャバレー、クラブなどで演奏した。「トラ」とはエキストラの業界用語で、休んだバンドマンの穴埋めの仕事だ。このほか「ショーバン」と呼ばれる仕事で九州も回った。「ショーバン」とは北島三郎、天童よしみなど歌謡曲の歌手の地方のショーのバンドマンとしての仕事だ。

 「トラ、ショーバンの仕事もバブル崩壊後は少なくなりました」

 植原は現在、福岡市・中洲のライブバー「ジャンプハウス」での定期的な演奏のほか、ブライダルなどで演奏をしている。また、作曲、編曲にも力を入れている。

 「今から音楽家として生きていくには演奏だけでなく、制作することが大事です」

 2009年、世界にネット配信する「アースミックス音楽コンペ」で自作のジャズ「スパーク」が凖グランプリに輝いた。その曲を入れたオリジナルアルバム(10曲)を来年初めにリリースする予定だ。

 「ジャズを教えてもらったのもキャバレー。先輩たちに感謝しながら曲を書いています」

 植原の作曲史で言えば今「一ベル」が鳴っている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2012/09/18付 西日本新聞夕刊=

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