キャバレー編<131>極限 バンドマンの涙

 福岡市西区のベーシスト、石田良典(60)は3年前から制服制帽姿でタクシー運転手として昼間、働いている。時折、客との会話で音楽話で盛り上がることもある。

 「音楽の縁で私のタクシーを呼んでくれる客がいます」

 キャバレーなどの衰退によってバンドマンの仕事が減り、タクシー運転手になったミュージシャンは少なくない。ギターやベースを弾いていた手がハンドルを握っている現実がある。

 石田はNHKの「のど自慢」や歌謡ショーの伴奏の仕事がある日以外はタクシーに乗っている。安全運転を心掛けながら強く思うことがある。

 「自分のラテンバンドを持ちたい」

 この気持ちは「自分の理想とする音楽を追究したい」との積極的な動機に支えられている。

    ×   ×

 石田は同区生まれ。音楽の感性は幼稚園時代にすでに表現されていた。与えられたハーモニカで、一度聞いた曲はすぐに、譜面が読めなくても吹けた。「町の天才」とその音感のよさがうわさになったこともあった。

 高校時代はエレキギターでロックを弾いていた。高校卒業後、家電メーカーに就職した。「違う。やはり音楽だ」。一年もしないうちに、知人の誘いもあり、同市博多区のキャバレーでバンドマンになった。

 「初日、渡された譜面がまったく読めなかった。ギターが弾けなかった」

 そのショックもあり、翌日は休んだ。翌々日はピンチヒッターで突然、ベースを渡された。

 「指が勝手に動いて、コードを押さえていました」

 キャバレー、クラブ、ダンスホールなどでベースを担当した。

 「3カ月もするとバンマスから『3年やっていると言ってもわからないよ』と言われた」

 20歳のころに上京し、バンドマンとして腕を鍛えた。24歳のときには当時、日本を代表するビッグバンド「高橋達也と東京ユニオン」に入った。「スター誕生」「レッツゴーヤング」「レコード大賞」などテレビの歌番組や山口百恵などのツアーにも付いた。

 「いつ首になるかと思っていたが、死に物狂いで練習した。がんばったね、とバンマスから言われたときはうれしかった。涙が出ました。この涙は覚えています」

 このバンドでの3年間の緊張で体調を崩したこともあって37歳のときに福岡に帰り、リズムを大事にしながら歌番組の演奏やジャズライブなどに参加してきた。フリーの音楽家の組織「九州ミュージシャン協会」の一員としても会員の生活向上活動に努力してきた。

 「妥協しないこと」。音楽に関しては求道的な考えを自らに課している。それは常にぎりぎりのところで勝負してきた石田のプライドでもあろう。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/10/02付 西日本新聞夕刊=

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