キャバレー編<137>歌謡祭 歌で恩返しをしたい

「歌えることは幸せ」と話す野上 拡大

「歌えることは幸せ」と話す野上

 福岡市城南区のスナック「憩」のマスター、野上幸男(70)は「歌に出合えてよかった。名前のように、幸福な男ですよ」と若々しい声で語った。

 カラオケからご当地ソングである演歌「濡れて那珂川」が流れた。野上はマイクを取った。

 〈飲めぬ飲めぬお酒で 酔っている女が 落とす涙はいじらしい…〉

 うまい。うまいはずである。この曲は2006年に野上自身がリリースしたものだ。キングレコードに所属するプロの歌手でもある。

 演歌の情感の表現の中には野上が同市・中洲のキャバレーで見た男と女の生態も盛り込まれているだろう。

 「この歌、カラオケで歌いました、とお客さんから言われるとうれしいですね」

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 現在の福岡県うきは市で生まれ、高校卒業後、福岡市の練炭会社に就職したが、労働争議のごたごたなどで半年で会社を辞めた。その時、中洲のキャバレー「星座」が専属歌手を募集していた。キャバレーはバンドの他に専属歌手も抱えていた。野上は少年のころから姉の影響もあって演歌が大好きだった。三橋美智也のファンだった。

 「歌手になりたいと思っていた。このキャバレーから歌の生活がスタートしました」

 男女の機微、人生の辛苦もわからない19歳ではあったが、客からリクエストがあればその曲を自分なりにこなした。

 「でも、失敗談もあります。春日八郎の『赤いランプの終列車』では違ったメロディーで歌い、客から笑いが起こりました」

 20代は「星座」や「赤坂」「チャイナタウン」などで演歌歌手として歌い続けた。同時期、「夫婦船」などのヒットで知られる三笠優子もクラブ「白い森」にいた。「チャイナタウン」「白い森」は同じビル、同じ経営者で、楽屋は一つだった。ここで、野上は三笠のステージ衣装である着物の着付けをいつも手伝った。その交流は今でも続いていて、毎年、三笠は野上のスナックに姿を見せる。

 野上は1970年ごろにキャバレーを離れ、10年後にはスナックを開いた。同時に店や文化センターなどで歌謡教室で歌を教えるようにもなった。教え子たちを中心に毎年、「野上歌謡祭」を開いている。出演者は100人を超え、500席も埋まる人気だ。今年で26回目になり、収益の一部は福祉団体に寄付している。

 「なにもできない私が歌で生きてきました。その恩を歌で返したいと思っています」

 歌に定年はない。まだまだ、マイクを置くことはない。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/11/13付 西日本新聞夕刊=

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