キャバレー編<138>モノクロ写真 女性の芸、音楽と共に

本橋成一写真集『昭和藝能東西』より 拡大

本橋成一写真集『昭和藝能東西』より

 戦後の都市風俗であるキャバレーについての資料は極端に少ない。風俗は都市の表皮みたいなもので、研究対象にはなりにくい。しかし、表皮だからこそ時代の風に敏感に反応する。なによりも雄弁に時代を語る要素も含んでいる。

 東京都の本橋成一(72)は太陽賞の『炭鉱』(1968年)、土門拳賞の『ナージャの村』(98年)など一貫して抑圧されている庶民サイドの視点から表現している写真家である。

 本橋は2年前に写真集『昭和藝能東西』を刊行している。この中に「キャバレー編」として19枚の写真が収められている。もともとは小沢昭一が編集していた雑誌「東西藝能」のキャバレー特集のための撮影だった。

 本橋が「取材が面白くて、足しげく通った」というキャバレーは東京・銀座の「ハリウッド」だ。撮影したのは1975年。キャバレー文化が絶頂から陰りを見せ始めていたころだ。

 本橋が焦点を当てているのはキャバレーで働く接客業の女性たちだ。キャバレーを彩ったのはバンドマンであり、ダンサーであり、そしてその女性だった。大キャバレーになると200人以上の女性をかかえていた。

 「男をだますというか、喜ばせるというか、それはもう芸と呼べるべきものだった」

    ×   ×

 客から指名の多い女性たちは客からもらった名刺を大事にし、2度目の来店には必ず、「○○さん、いらっしゃい」と客の名前を呼んだ。顔を覚え込んでいた。

 本橋の写真の中に、ずらりと並んだピンク電話の前で受話器を持った女性がいる。

 「雨の日、客の出足が悪いと思えば、『○○産業総務課の者ですが…』と来店を請う電話をしていました。さまざまな細かい心遣いが、まさに芸でしたね」

 本橋がさらに、芸の極みを感じた三つのことがある。一つは開店前の同伴でコーヒーを飲んだとき、コーヒー代は女性が払った。

 二つ目は出身地だ。男性は同郷人に弱い。男性が故郷の話をすれば、女性もそれぞれ客に合わせて「私と同じ」。突っ込まれて、あやふやになれば「小さいころまでしか住んでいなかったから」とかわすのだ。

 三つ目はハンカチだ。人気の女性にはあちこちから指名がかかる。席を外すと客の機嫌が悪い。その時は香水を染み込ませたハンカチを「私と思って待ってて」と客に渡す。

 「男性は女性が戻ってくるまでハンカチを握りしめていました」

 本橋のモノクロの19枚のキャバレー写真は女性たちの哀歓を表現している。女性たちと客の虚実交じった会話も、流れる音楽や歌と同調しながら、昭和のキャバレー空間を作りあげた。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2012/11/20付 西日本新聞夕刊=

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