キャバレー編<139>履歴書 サックス一本の腕

「キャバレーで育てられた」と話す北尾 拡大

「キャバレーで育てられた」と話す北尾

 福岡市中央区今泉にあったジャズのライブハウス「マスカレード」が27年間の歴史に幕を閉じたのは7年前である。

 「多くのミュージシャンがステージを踏みました。ライブの空間を提供できてよかった」

 マスターだったサックス奏者の北尾勝(69)はこう語る。ライブの場で育てられた北尾にとってこの店は単に食っていくだけの営業的な面だけでなく、恩返しの思いもあった。

 「私は一度も履歴書を書いたことがない」

 こう言うとき、そこにはサックス一本で生きてきたという自負もまたあるだろう。

 キャバレーの世界に履歴書は不要だった。その音、そのプレーが履歴書そのものだ。「あいつはうまいから」「いい腕してるから」。それで十分だったのだ。

    ×   ×

 父がダンスホールのバンドマネジャーをしていた関係もあり、物心ついたころからレコードなどで音楽を聴いていた。大阪の高校時代に映画「ベニー・グッドマン物語」を見て、すぐにクラリネットを買った。キャバレーに見学に行ったこともある。

 「ジャズではクラリネットの出番は少ないので、サックスに変えました。でも、サックスよりクラリネットは難しいので、この楽器を最初にやったことはよかった」

 高校卒業後、音楽家になるために上京。銀座のキャバレー「モンテカルロ」のバンドに入った。「本当にキャバレーは修業、勉強の場。ここで、譜面が読めるようになった人は多い。今の若い人が不幸なのはこういった場がなくなったことです」

 1965年ごろ、歌手のフランク永井の専属バンドになり、全国各地のキャバレーを回った。福岡市の「月世界」でも半年に1度はステージをこなした。

 「フランク永井はブランデーを飲みながら歌っていましたね。それが許された時代でもありました」

 福岡が気に入った。夫人の故郷でもあった。ここに拠点を移し、「月世界」のバンドへ。もちろん、履歴書は出さずに採用された。

 キャバレー時代で記憶に残っていることがある。ある日、吹いても吹いても音がでなかった。

 「おかしい。だれかいたずらしたな、と思いました」

 そうではなかった。唇の半分がまひしていた。その場は退場し、2週間の休暇で治癒した。

 「マスカレード」を閉じた後もサックスを吹いている。結婚式やパーティーなどで演奏する現役だ。

 キャバレーからマスター、そしてフリーのプレーヤー。これが北尾の簡単な履歴だ。 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2012/11/27付 西日本新聞夕刊=

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