昭和流行歌編<148>松平 晃 川辺で誓った少年

 目鼻立ちのくっきりとした少年が夕暮れの川辺の小道で歌っていた。

 〈夕やみ 谷にせまれば 心高きを慕い あこがれさまよいぬ〉 

 セノオ楽譜で覚えたばかりの歌劇「タンホイザー」(ワーグナー作曲)の中の「夕星の歌」だ。軽い足音が近づいた。それでも少年は歌をやめなかった。

 〈恋しよ うるわしの星 淡き光 空に満ち 夕やみに照り映えぬ〉

 「お邪魔? 私は歌が好きなの」

 セーラー服を着た少女が声をかけた。

 「僕の歌? 」

 「あなたの歌だって。藤原義江(日本を代表するテノール歌手)みたいになれば好きになるわ。でも、あなたの歌、下手じゃないわ」

 「僕の歌は嫌いですか」

 「そんなんでもないけど」

 少女の去っていく姿を見送りながら少年は誓った。

 「今にみろ、きっと有名な歌手になってみせる」

 松平晃は少女との一瞬の交差を「はかなくも壊れた少年の日の夢の恋」と記している。

  ×   ×

 この川は佐賀市街地を流れる多布施川だ。松平の家はこの川に架かる青木橋のたもとにあった。今は駐車場になっている。

 松平の孫で、東京都目黒区の眼科医、福田匠(38)の手元に残る写真には田んぼに囲まれた大木茂る旧家が映っている。駐車場の隅の大木の切り株がわずかに生家の痕跡をとどめているだけだ。

 松平は1911(明治44)年、両親の太三、あいの二男として生まれた。本名は福田恒治(つねはる)。

 福田家は江戸時代、佐賀城の守備兵だった。明治初期の佐賀の乱で城が炎上したときに、「慶長小城内絵図」「御城内絵図」などを搬出した。現在、佐賀城本丸歴史館に収蔵されている。武士の血筋だが、明治維新で世の中は変わった。松平は「私の家は百姓だった」と記している。

 松平は家の前の夕暮れの川が好きだった。夕日を浴びて金色に輝く小川。そこは水遊びの場だけでなく、少年がいつも独唱する野外ステージでもあった。

 小学校時代から唱歌「庭の千草」などを歌っていた。学芸会でその歌を披露した。「将来、藤原義江みたいになる」と褒められた。

 「私の頭にいつも浮かぶのは生家近くを流れる多布施川の清い流れ…」

 プロデビューしたときに静かな多布施川のさまざまな光景がよみがえった。川のほとりの小道は歌手への道であり、スターへの道でもあった。最初の芸名「大川静夫」は少年時代、いつもそばに流れていた多布施川への思いだった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2013/02/19付 西日本新聞夕刊=

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