昭和流行歌編<157>松平 晃 ボーカル革命

「電気吹込」(右上)と書かれた「夢のあと」のジャケット 拡大

「電気吹込」(右上)と書かれた「夢のあと」のジャケット

 松平晃の声をアルバムで聴くと、その鼻にかかったような甘い声が特徴だ。同時代の作曲家の竹岡信幸は「その声は蜜のごとく甘かった」と証言している。

 松平がデビューした昭和初期は持ち前の甘い声や低音のバイブレーションを無理なく伝える吹き込みの技術が開発された。マイクロホンを使った電気吹き込みだ。その技術が流行歌を生むことにもなる。

 それ以前は大きなラッパのような吹き込み口に吹き込み、それを空気振動で記録するものだった。そのためには一定の声量が必要で、この時代にはクラシック出身者が重用された。

 『日蓄(コロムビア)三十年史』(1940年刊)には次のよう記されている。

 「電気録音の完成は、空気振動録音を全く覆して、在来の録音可能振動数の観念を根本的に変革した…アコースティック・レコーディング=所謂喇叭(いわゆるらっぱ)吹込=の形式を墨守(することは)商機に敏なる所以(ゆえん)ではない」

 現在でも歌を「吹き込む」という表現は生きている。これは空気振動式の旧式の録音時代の言い回しだ。

 松平晃の1935(昭和10)年のレコード「夢のあと」(コロムビア)などのレコードジャケットには「電気吹込」と大書きされている。新式の吹き込み方が一大セールスポイントになった。その技術革新は歌手の歌い方も変えることになった。

   ×    ×

 マイクロホンの出現によって、大声を出す必要もなくなった。松平の最大のライバルの藤山一郎は次のように回想している。

 「マイクの乗りを良くすること…、つまり、声をマイクに集めることに気を使った。音声を曲調に合わせて、あるときは歯切れよく、あるときはシットリと…」

 藤山が研究したのはクルーン唱法だ。この唱法は小声でつぶやくように歌うことである。そのような歌手を「クルーナー」と呼んだ。

 唱歌や演説歌のように歌い上げるのではなく、つぶやくように歌うことで哀愁、余情などの微妙なニュアンスを表現できるようになった。表現の可能性が広がった。それはまさしく、藤山が言うように「シットリと」した日本人好みの伝統的な心情に訴えることができる、大衆の心情をわしづかみにできる唱法だったともいえた。

 クルーン唱法を意識しなくてもつぶやくような歌い方はバラードなど現在の歌謡曲も同じである。それはマイクロホンの出現によってもたらされたボーカル革命だった。声楽の基礎勉強がなくても流行歌手になれる歌手の大衆化のスタートでもあった。

 松平の声の甘さはマイクロホンに乗って一つの時代を築くが、逆にその甘さが合わない時代も刻一刻と近づいていた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/04/30付 西日本新聞夕刊=

PR

PR

注目のテーマ