昭和流行歌編<158>松平 晃 古賀メロディー

 明治大学のマンドリン倶楽部の古賀政男は1928(昭和3)年の夏、東北のひなびた温泉宿に泊まった。失恋、生活苦、絶望…。世をはかなむ逃避行だった。突然、谷へ歩き出て、カミソリを喉に当てた。首に血がにじんだ。古賀は書く。

 「生への未練があった…噴き出す血をハンカチで押さえ、泣きながら突っ伏していた」

 自殺未遂のその夜、古賀は痛飲しながら鬱屈(うっくつ)した心情を詩に託した。

 〈まぼろしの 影を慕いて 雨に日に 月にやるせぬ わが想い…〉

 この詩に秋になってギターを弾きながら曲を付けた。美空ひばり、森進一などが歌い継ぐ昭和の名曲「影を慕いて」が誕生した。

 最初は佐藤千夜子が歌い、藤山一郎の再吹き込みで大ヒットした。同時期、古賀は「酒は涙か溜息か」を作曲、これも大ヒットした。中山晋平時代から古賀政男時代が始まった。「影を慕いて」「酒は涙か溜息か」は一言で言えば暗い、やるせない歌である。古賀政男が作曲し、松平晃が吹き込んだ「サーカスの唄」もまた、その系統だ。

   ×    ×

 古賀メロディーがちまたにあふれた時代は昭和恐慌、満州事変勃発といった社会不安が広がっていた。その反動として「エロ・グロ・ナンセンス」といった刹那的な享楽文化も生まれた。「酒は涙か溜息か」について古賀はこう書く。

 「暗い歌だった。そして世の中もどん底の時代であった。暗い社会に生きる人々の胸に、あの歌は突き刺さった」

 古賀は明治以降の西洋音楽一辺倒に疑問を抱いていた。

 「ジャズと都々逸(どどいつ)、この落差を埋めなくては、時代の世相を反映したものにならない」

 西洋の7音階に対し、日本伝統の5音階。楽器もジャズバンドのピアノやトランペットではなく、三味線の延長としてのギター伴奏。弦楽器の哀調を帯びた響きは伴奏の革命でもあった。そのメロディーにつぶやくようなクルーン唱法、そして日本独特のユリ(こぶし)によって流行歌の骨格ができあがる。

 藤山一郎は古賀メロディーについて「大衆の中からメロディーを探り出す方式」と語ったという。大衆、もっと言えば日本人の心情と共振できる哀愁のメロディーでもあった。

 松平は「サーカスの唄」がヒットしたにもかかわらず、同じレコード会社に籍をおきながら古賀と組むのは数曲にすぎない。古賀は自伝を含め、松平についてほぼ語っていない。この謎については後に触れるが、古賀メロディー=流行歌のメロディーの確立によって松平も一時代を築いた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/05/14付 西日本新聞夕刊=

PR

連載 アクセスランキング

PR

注目のテーマ