昭和流行歌編<159>松平 晃 スター歌手の原型

松平晃のブロマイド 拡大

松平晃のブロマイド

 時代のスター度を測る一つに、肖像写真のブ(プ)ロマイドがある。日本のスターのブロマイドが初めて発売されたのは大正の初めごろといわれる。ブロマイドの当初のスターは映画俳優であった。

 松平晃を含む千人のスターのブロマイドを収めた『ブロマイド昭和史』(小学館刊)は次のように記している。

 「初期の十年あまりは、もっぱら映画スターが主役で、銀幕の美男美女がファンの憧れの星だった。ところが…プロマイドにも流行歌手がぞくぞく登場した」

 昭和初期に流行歌手が生まれ、俳優の専売特許だったスターに松平など歌手が仲間入りすることになる。ただ、俳優は映画でその顔をみることができた。スターの大条件はいうまでもなく顔である。

 松平晃は「鼻にかかった甘い声」というのは一致した意見だった。その声に合ったいわば「顔声一致」でないとスター性から外れる。

 同時代の作曲家、竹岡信幸は松平について「ちょっと色は黒いがいい男で、女の子には大いにモテル」「他にいない美男子」などと書いている。甘い声に、甘いマスク。松平はスター性を持っていた。ただ、テレビのない時代だけに、その顔を映像でみる機会は極端に少なかった。

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 〈丘を越えて行こうよ 真澄の空は朗らかに晴れて 楽しい心 鳴るは胸の血潮よ…〉

 作曲家の古賀政男は1931(昭和6)年に「丘を越えて」を作曲し、藤山一郎の歌で大ヒットする。藤山はまだ、学生で顔は出せない。古賀は書く。

 「その頃のレコードには、必ず歌手のポートレートがついていたが、藤山君の写真を出すわけにはいかない。代わりに何かを入れようというので、作曲家の私の写真が登場した。おかげでどこへ行ってもたいへんもてたものである」

 古賀のこのエピソードは写真の効果を物語っている。松平にも写真をめぐる同じような顔を出せない学生時代のエピソードがある。

 松平が「使ってください」と持参した写真は亡くなったばかりの兄の写真だった。家族思いの松平らしい逸話だ。

 コロムビア専属になってからは自分の写真を使用した。レコードの歌詞カードや袋に付けた写真が歌声と相乗効果になって、流行歌の世界では「青春スター第一号」ともいわれる位置を獲得する。

 もちろん、顔や声だけでない。松平は高額なギャラで外車やヨットを乗り回した。庶民とはかけ離れた私生活も見せることで、さらにスター性が増幅された。

 スター。今でいうアイドル歌手の原型を松平に見ることができる。言い換えれば大衆の娯楽に流行歌が定着した時代でもあった。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/05/21付 西日本新聞夕刊=

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