昭和流行歌編<160>松平 晃 満州曲ブームの先駆け

松平の手書き楽譜満州曲ブームの先駆け 拡大

松平の手書き楽譜満州曲ブームの先駆け

 松平晃のヒット曲の一つは1934(昭和9)年、コロムビアから発売された「急げ幌(ほろ)馬車」だ。

 〈日暮れ悲しや 荒野は遥か 急げ幌馬車 鈴の音だより どうせ 気まぐれ さすらいものよ 山はたそがれ 旅の空〉

 作詞は島田芳文、作曲は古賀政男の最大のライバルで、松平のコンビになる江口夜詩である。

 歌詞カードには松平のポートレートとともに、メッセージも記載されている。

 「僕はファンと共に歌い、踊ります! 勉強…一生懸命です」

 この歌の背景にあるのは旧満州(中国東北部)の開拓団である。日本政府は1931年の満州事変によって、満州国を建国した。「王道楽土」「五族協和」などをスローガンに国策として満州国への開拓移民を募った。農業者を中心に30万人前後が送り込まれた、といわれる。

 満州国の具体的な地名や風景が歌詞にあるわけではない。ムードである。アメリカの開拓移民の幌馬車を入れ込み、荒野、鈴の音、さすらい、といった用語で漂泊感を漂わせ、哀愁のメロディーが人々の胸にしみこんでいった。

 松平のヒットを契機に幌馬車もの、荒野ものといったジャンルがこの時代に確立した。流行歌の満州曲ブームだ。「急げ幌馬車」から10カ月後には東海林太郎の「国境の町」もリリースされた。

 〈橇(そり)の鈴さえ寂しく響く 雪の荒野よ 町の灯よ 一つ山越しゃ 他国の星が 凍りつくよな 国境〉

   ×    ×

 「流行歌の社会心理史」の副題が付いている『近代日本の心情の歴史』(見田宗介著 講談社学術文庫)に沿えば「急げ幌馬車」「国境の町」などは「漂泊感の歴史」に分類されるだろう。漂泊感を表す語句である「悲しや」「さすらい」「旅」「荒野」「寂しく」などが山盛りだ。

 無常観、漂泊感をモチーフにした流行歌は日清、日露戦争を経て多くなる。

 「昭和六年から二十年までの(日中)十五年戦争の時期に、流行歌のじつに四〇パーセント前後を占めることになる」(同書より)

 この漂泊感は外地-日本という距離感だけではない。流行歌の創生期は急激に都市の人口がふくらんだ時代だ。都市には故郷喪失者が増え、故郷-都市という距離感も漂泊感を生み出した。加えて、経済恐慌による社会不安もあり、人々は時代に、社会に漂うことなる。

 「急げ幌馬車」は満州の具体的な地名などが欠落することで、逆に日本の心情をとらえ、広がっていった。

 松平は中国戦線へ慰問団の一員として遠征する。このとき、現地でこの曲を「何度も歌った」という。

 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/05/28付 西日本新聞夕刊=

PR

PR

注目のテーマ