博多ロック編<244>同級生バンド

ロッカーズ(右端が船越)=1980年 拡大

ロッカーズ(右端が船越)=1980年

 1980年にリリースされた「ロッカーズ」のファーストアルバム「フー・ザ・ロッカーズ」は約1万枚売れた。キャニオンレコードは「ヒット賞」を与えた。この1万枚という数字にドラムの船越祥一はどこか戸惑いを感じた。

 「ヒット賞? 1万枚で少ないな。テレビのベストテン番組に出て、どんどん売れると思っていたのに…」

 1万枚はデビューアルバムとしてはそれほど過小評価されるものではない。ただ、ジャニーズの「たのきんトリオ」が「おれたちのライバルだ」などと冗談半分に話していた船越にとっても誤差のある数字であったかもしれない。しかし、その後、数字の持つ現実にぶち当たる。それが「ロッカーズ」解散の一つの要因になる。

 80年に入って博多ロックバンドのプロデビューは「ロッカーズ」が口火を切る。これに続いて「ルースターズ」「モッズ」が相次いでデビューする。

 「ロッカーズ」の最初のレギュラーは天神のライブハウス「照和」だ。最初のステージは女性客1人。それからまたたく間にプロへの階段を駆け上がった。デビューから82年の解散までの短い間に4枚のアルバムを出している。船越は言う。

 「あまり曲のストックはなかったし、自転車操業の感がありました」

 船越は陣内孝則がぽつりとつぶやいた言葉を覚えている。自分の言葉でもあった。

 「ロックは売れないな」

 ×   ×

 「ロッカーズ」は同級生バンドだ。ギターの谷信雄だけが一つ下。高校からドラムをたたいていた船越が陣内から「やらないか」と誘われて「ロッカーズ」に入るのは大学に進学して間もなくのことだ。船越にとって「サンハウス」がスターだった。高校時代、「サンハウス」が演奏していたダンスホールに入り、隠れて録音した音源を聴いてコピーをしていた経験もあった。

 「ロッカーズ」は同級生バンドだけに上下関係はなかった。言いたいことが言えた。ただ、メンバーの個性も強くそれが裏目に出ることもある。上京後は東京都・立川の米軍ハウスで共同生活した。船越は言う。

 「一つのところに詰め込まれたことがよくなかったかもしれない。皿洗いの順番などで口論になることもありました」

 解散後、メンバーはそれぞれの志向する音楽の道へ。陣内は俳優、タレントとして活動している。

 昨年、ベースの橋本潤が死去した。「ロッカーズ」を再結成して追悼ライブを行った。

 「今後は時々、集まってやることはある。やはり『ロッカーズ』での演奏が自分には一番、しっくりきますね」

 船越はこう思っている。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/05/11付 西日本新聞夕刊=

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