博多ロック編<245>復活した「ゴジラ」

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「ゴジラ」の大場(右)と山口

 音楽好きが集まる福岡市中央区天神3丁目のバー「キング・ビー」の店内には一枚の遺影がある。北九州市で生まれたロックバンド「ルースターズ」の母体「人間クラブ」のボーカルだった南浩二だ。2010年9月に死去した。マスターの大場由文は、その写真を見ながら言った。

 「柴山俊之さん(サンハウス)と南さんが(私の)敬愛するボーカリストです」

 大場は同じボーカリストとして南と親交が深かった。南の死に突き動かされた大場は南の一周忌に合わせて追悼ライブを企画した。そのステージで「ゴジラ」が復活した。

 大場は高校時代、同級生だったベースの山口義人たちとバンド活動を始めた。この時代のカバー曲は主に「サンハウス」と「キャロル」だった。両バンドともすでに解散していたが、アルバムなどで追体験する。若かった大場の言い分はこうだ。

 「不良のにおいがしないバンドはロックではない」

 ×    ×

 高校卒業後の1983年にロックバンド「ゴジラ」を立ち上げ、本格的なスタートを切った。メンバーは大場、山口に矢野賢治(ギター)、荒牧大視(ドラム)の4人。作曲はだいたい山口が担当した。

 「ゴジラ」の名付けは仲間の一言にヒントを得た。大場はファッションの一部として絵画用の金粉を長髪にふりかけた。金粉は髪だけでなく、黒い服の背中にも舞い降りた。黒に金の発色。仲間が言った。

 「映画のゴジラごとあるね」

 84年には福岡スポーツセンターで行われたロックイベント「ジャンピング・ジャム」に出演、翌年には関東、九州ツアーを敢行した。博多ロックの第2世代として音楽シーンを盛り上げたが、86年に解散した。

 「ゴジラ」単独のアルバムは出していない。

 「もっといい音、いい曲ができると思っていた」

 「ゴジラ」の復活後、毎年、南の追悼ライブを行う一方で、定期的なライブにも力を入れている。「ゴジラ」の名は著作権の問題などもあり解散後、一時期、活動していたバンド名「キング・ビー」に改めた。その名前から取ったバーを開店したのは2年半前のことだ。

 大場は約30年の歳月を振り返りながらこう言った。

 「音楽をやっていなかったらどんな人生を歩んでいただろうか、と思うこともあります」

 この言葉は大場だけでなく、言ってしまえばロッカーたちそれぞれの思いであるかもしれない。ただ、大場ははっきりと言った。

 「年をとった今が一番、うまいような気がする」

 その横で盟友の山口が大きくうなずいた。

 =敬称略

 (田代俊一郎)


=2015/05/18付 西日本新聞夕刊=

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