「介護は老後の愛」 田原総一朗さん 自伝につづる 妻の最期を支え実感

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「介護は楽しむことが大切」と語る田原総一朗さん

 一緒に裸になって髪や体を洗ってあげるのが楽しみだったという。ジャーナリストの田原総一朗さん(78)は、12月1日に出版する「塀の上を走れ 田原総一朗自伝」(講談社、1680円)の中で、8年前に乳がんと闘った末に亡くなった妻、節子さん(享年67)の介護体験にも触れている。「介護は新しい老後の愛」と語る田原さんに、その思いを聞いた。

 節子さんは夫の事務所の代表も務め、田原さんを公私ともに支えてきた。乳がんと診断されたのは1998年。「長く持って半年」という医師の言葉を、前妻を乳がんで亡くしていた田原さんは当初、妻に告げられなかったという。

 抗がん剤の投与、放射線治療、手術…。節子さんは病名を知ってからも、医学書やインターネットで情報を集めるなど、前向きに過ごした。「甘えない、色っぽいことやお世辞を一切言わない。そんなところが好きでした」。「余命半年」はとうに過ぎていた。

 発病から5年後の2003年、脊椎と腰椎への転移が発覚。田原さんの講演会に同行した帰りに駅で突然歩けなくなり、翌日から車椅子の生活になった。

 本格的な介護生活が始まる。車椅子を押して散歩をしたり、トイレに入るのを手伝ったり。テレビ出演や雑誌の連載を抱える多忙な中でもできる限り、仕事以外の時間を介護に充てた。

 「介護が面倒だとか嫌だとか、全然なくて」。夜、原稿を書いた後、裸になって入浴を手伝うのも楽しみだった。「相撲取りみたいに裸で抱き合ってね。年を取るとキスもしなくなるでしょう? それが肌と肌が触れ合うことで新しい愛が始まる。『介護は新しい老後の愛なんだな』と、とっても楽しかったですね」

 担架に乗ってがん患者の集会にパネリストとして参加するなど、前向きに闘病生活を続けた節子さん。しかし、04年の入院が最後となった。そのとき、田原さんは米国と北朝鮮への取材を控えていた。話ができる容体ではなかったが、「目と口は『行け』と言っていた」という。

 北朝鮮から帰る前日、娘から電話が入った。危篤の知らせだった。娘が電話を節子さんの耳元に置き、田原さんは「今から党の幹部と会うんだ。僕が帰国するまで待っててくれ。頑張れ。大丈夫だ」と必死で話し掛けた。

 2時間後、息を引き取った。帰国して遺体と対面し、最後の口づけをした。冷たかった。

 亡くなって8年がたつ。「半身がなくなったような大きな喪失感」は今もある。一方で、妻の人生の締めくくりの時間を一緒に過ごせたことが支えにもなっている。「男性も介護をどんどんした方がいい。セックスはするのに介護はしないのはおかしいよ。介護は、より濃密な時間を過ごせて楽しいものだから」


=2012/11/29付 西日本新聞朝刊=

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