「感謝すれば人は幸せ」 ブータンで初の精神科医 鹿児島で患者と交流

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 国民の97%が幸福と感じ、「幸せの国」と呼ばれるブータン。国民総生産(GNP)ではなく、心の豊かさを示す国民総幸福量(GNH=グロス・ナショナル・ハピネス)を国の指針としている。そんなブータンで最初の精神科医となったチェンチョウ・ドルジ医師(53)が14、15日に鹿児島市を訪問。精神障害者の就労支援と自立訓練事業を展開する「ラグーナ出版」で、心の病を抱えた人たちと交流した。人間にとって真の幸せとは何なのか‐。ブータンの孤高の医師と、精神の自立を目指す人たちの対面に立ち会った。

 「ブータンで1999年から、たった1人で国中の精神障害の治療に当たってきたチェンチョウ医師を、ぜひラグーナのみんなに会わせ、いろんな話を聞かせたかった」。ラグーナ出版会長で精神科医の森越まやさん(52)はこう語る。ラグーナでは、統合失調症や不安障害、うつ病などの53人が、治療を受けながら製本や編集などの作業や自立訓練に取り組んでいる。

 チェンチョウ医師はスリランカやインドの大学で西欧の精神医学を学び、ブータンに西洋式の薬物療法などを導入した。一方で、仏教に根差した祈祷(きとう)や薬草など、伝統の治療法も併用し、独自の治療システムを構築している。森越さんは2年前、チェンチョウ医師が勤務する国立病院を視察し、来日を働き掛けていた。

 チェンチョウ医師は14日夜に鹿児島国際大学で講演した後、15日に丸1日、ラグーナに滞在。自立訓練中の8人、利用者13人と約2時間ずつ意見交換した。

 チェンチョウ医師と森越さんによると、ブータンに西洋医学が入ったのは1960年代。今も祈祷や薬草による伝統療法が一般的という。精神医療が世界保健機関(WHO)の支援で導入されたのは97年のことで、まだ歴史が浅い。

 精神障害の人はシャーマン(みこ)に相談に行き、どうしても治癒しない人だけがチェンチョウ医師の病院を訪れる。「西洋の薬は統合失調症などによく効く。一方で、薬草などの自然成分は長く摂取しても副作用がない利点がある。西洋医学と伝統医学とのバランスをうまく取ることが大切」と説く。「今年ようやくわが国2人目の精神科医が誕生した」と喜んだ。

 「なぜブータンで精神科医になったのですか」‐。その問いにチェンチョウ医師はこう答えた。

 「私には4歳上の兄がいる。賢い僧侶だったが、19歳で精神障害に陥った。伝統療法では治らず、10年も部屋に閉じこもった。私は本当は外科医になりたかったのだが、兄を治すために精神科医を志した」

 兄は回復し、今はチェンチョウ医師の家で一緒に暮らしている。弟も統合失調症にかかったが、治療で全快し「今は立派な2児の父親だ」と笑顔を見せた。

 自殺についての質問も出た。チェンチョウ医師は「ブータンでも2010年、10~15人の若者が自殺したとの報告があった。ただ、仏教徒が多いブータン人は輪廻(りんね)を信じているので、基本的に自殺はしない。自殺は過ちだ」と強調した。

 やりとりは日本人論にも及んだ。「100年前の日本はブータンと似ていたが、古い文化を見失ってしまった。今は経済力で世界のトップにあるが、何でもコントロールできると、人は横柄になる。長く深呼吸して、自分たちが何をしているか考えるべきだ」。日本人が心豊かに暮らすには「みんながつながり合い、頼り合うことで宇宙ができていると自覚することが大切」と語った。

 「長年、心にもんもんとした問題を抱えていたけれど、少しヒントが見えた」「新鮮な気持ちになれた」‐。意見交換を終えたラグーナの利用者は、それぞれ心の中に何かを得た様子。チェンチョウ医師は「全てのことに感謝すれば、人は幸せになれる。いろんな心の問題を抱えつつも、ラグーナのような場所で人と関わっていくことが大切。あなたは独りではない」とメッセージを送った。

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 ●ワードBOX=ブータンとGNH

 ブータンは中国とインドに挟まれたヒマラヤ山脈南麓の国。人口約70万人で、面積は九州とほぼ同じ。立憲君主制で仏教を国教とする。GNHは1970年代、前国王が提唱した国の指針で、経済成長よりも伝統文化や環境に配慮して国民の幸福実現を目指す。2005年の国勢調査で国民の97%が「幸福」と回答し、08年に施行された憲法にも盛り込まれた。心理的な幸福、国民の健康、教育‐など九つの指標がある。このため、ブータンでは医療費と教育費は無料。国土の森林面積を60%以上に維持することも定められている。


=2012/11/29付 西日本新聞朝刊=

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