【いじめ 調査と指導 中学校の現場から】<下>怒りと説諭 「自分との対話」を求め

 福岡県内のある中学校では、アンケートで1学期に8件、2学期にも6件のいじめが認知された。大切なのは、むしろその後‐。教師たちはいじめに関わった生徒たちをどう指導しているのだろうか。

 「最近、友達を傷つけたり、嫌がるようなことをしたりした心当たりはない?」。教師たちはまず、いじめに関わったとされる生徒を放課後、個別に別室に呼び、問い掛ける。生徒の大半は黙り込む。

 「実はアンケートで(いじめを)見たって子がおるんやけど」。すると生徒の一部は「ウン」「ハイ」と渋々、事実を認める。

 「どんなつもりでやったの?」と聞くと「遊びのつもりだった」などと返答する。「だって、○○さんが□□だから」と、被害を受けた生徒に責任を転嫁する生徒も少なくない。

 「同じことされたらどう思う? 君たちがやったことはいじめなんだよ。いじめられた子のつらさを考えたことがあるか」

 問いを重ねながらの説諭では「相手の側に立つ」「もう一人の自分との対話」を目指す。

 生徒自身も「悪いこと」であることはある程度分かっている。だから教師の見えないところでやる。「痛みの共感」が芽生えたら、自分が考えや行為のどこが間違っていたか、作文につづらせる。その上で、被害を受けた生徒の意向も確認し、1対1で謝罪させる。親にも報告し、親同士の謝罪にもつなげていく。

 生徒指導担当の主幹教諭(47)は「生徒は最初、険しく、硬い表情をしている。しかし、事実を認め、指導を受け入れると、どこかホッとしたような、素直な顔に変わる」と言う。

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 ただ、現実は必ずしも、そううまくは運ばない。ふてくされたり、聞いているふりをしたりしているだけの生徒もいる。

 「そこで大切なのは怒りだ」と校長は言う。「先生はいじめを絶対許さない」「正義が通らない学校なんて、あり得ない」「先生は弱い立場の生徒を絶対に守る」。時に声も荒らげ、毅然(きぜん)とした姿勢をアピールする。複数の教師で説諭にあたることもある。

 ある男性教諭は、指導を終えた後、生徒を廊下にある鏡の前に連れて行き、「自分自身を見てごらん」と問い掛けた。しばらくすると生徒の目から涙があふれたという。

 北風と太陽の寓話(ぐうわ)を思い起こさせる。厳しさと優しさの中で、生徒たちにはそれぞれ、自らの過ちに気づく瞬間があるのだろう。説諭を終えると、教師たちは生徒の肩を抱き寄せる。

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 アンケートで浮かび上がるいじめの実態。教師たちにはその現実がどこまで見えているのか。

 「昼休みにポツンと寂しそうにしている、机をくっつけない、プリントを投げ渡す…。オヤッと思う小さな異変には、担任の多くが気づいている。しかし、それがいじめかどうか、そこまで見えている教師は少ないだろう」(主幹教諭)

 今と同じようにいじめが社会問題化した1980年代。いじめの主流は「異分子の排除型」だった。しかし、最近では、これまで仲良しだった友達同士の中でも、いじめの加害、被害が生じる「グループ内攻撃」が目立ち、その理由も曖昧だ。教師たちからはより、いじめが見えにくくなっている。

 そうした中、いじめを早期に察知する上で、保健室が一つのポイント。生徒たちは、先生にも、親にも、友達にも言えない悩みを、養護教諭には打ち明けるからだ。この中学校でも、養護教諭ともよく話し、指導に当たっているという。

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 いじめ対策では、構造図からも分かるように、被害者、加害者を取り巻く観衆(面白がってはやしたてる)、傍観者(見て見ぬふりをする)の生徒たちが、初期段階でブレーキ役に転じるのが理想だ。

 しかし、いじめを止めようとした生徒が新たにいじめの標的になるケースもあり、対応を難しくしている。この周囲の層をどう動かし、正論を主張できる雰囲気をつくっていくか、指導の鍵を握る。

 そうした生徒同士の関係づくりに向け、この中学校では、異学年グループでの話し合い活動を授業や課外活動に取り入れ、他者理解、自己対話を深めようとしている。いじめ問題は、そうした学校運営にも一石を投じ、人間関係の結び直しの機会にもなっている。

 「意識しないと、人の心って見えないですからね。そして私たち教師は、生徒たちの心に訴え続けるしかない」。校長は自身に言い聞かせるように話した。


=2012/12/25付 西日本新聞朝刊=

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