【こんにちは!あかちゃん】 第1部 少子化 それぞれの理由<1>やっぱり産んでよかった

「お母さんだよ」。初めてわが子を抱く木村晶子さん。命の重みが伝わってきた 拡大

「お母さんだよ」。初めてわが子を抱く木村晶子さん。命の重みが伝わってきた

【上】夫の公明さん(右)と赤ちゃんを見つめる【下】小さな手がお母さんの指をぎゅっと握り締めていた

 壊れそうなくらい小さな体を抱き上げる。顔を見つめていると一瞬、目が開いた。「お母さんだよ」。話し掛けると、安心したようにまた眠る。3620グラムの体が、命の重みとして伝わった瞬間だった。

 12月28日朝。福岡県中間市の木村晶子さん(40)は産婦人科の病室で、前の日に産んだばかりのわが子を初めて抱いた。夫の公明さん(47)ものぞき込む。「かわいかね」「小さかね」。言葉には、小さな命への愛情があふれていた。

 予定日はクリスマスだった。40歳という年齢、150センチ以下の身長、そして初産というリスクが重なり、不安の中で25日を迎えた。

 しかし、陣痛の兆候すらない。26日朝、人工的に陣痛を促そうと、風船を子宮に入れる処置が施された。始まりかけたが、昼すぎに収まってしまう。27日朝、陣痛を促す点滴を打った。

 始まった。間隔が狭まるにつれて、苦しみが増す。午後3時20分、分娩(ぶんべん)室へ。難産であれば総合病院への移送も検討されていたが、頭が出ていたので出産に踏み切られた。

 分娩台に上がる。医師が「頑張って」と励ます。公明さんも枕元で「あき、頑張れ」と声を掛ける。「わあああ」。晶子さんが細い体で声を絞り出す。約20分後、「出ましたよ!」と医師。頭が真っ白になり、夫の「でかした」という声だけが聞こえた。胸元に連れてこられたわが子を見て、ただただ涙があふれた。

 晶子さんは福岡県内の高校を卒業し、東京の短大を出て、子どものころから憧れていた劇団に入った。一方で就職、結婚、病気、そして離婚。一時は芝居を離れるほど疲弊し、この間、子どもを意識することはなかった。夢を諦めきれずに舞台へ戻り、4年ほど前、劇団を手伝っていた公明さんと出会った。

 夫の故郷・中間市に移って妊娠が分かった。優しい夫との子を授かったことが素直にうれしかった。今、わが子を抱いて思う。「自分の親やいろんな人の気持ちが分かりました。痛くて苦しかったけど、やっぱり産んでよかった」

 女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率は2011年、1・39だった。少子化が止まらない。このままでは人口が先細り、国の将来に関わる一大事とされる。

 しかし、国や社会は少子化対策に本腰を入れているといえるのか。担当大臣は2007年の第1次安倍晋三内閣で設けられて以降、14人を数える。保育所の待機児童も、職場の支援体制もなかなか改善されない。

 そんな状況で「産めよ、増やせよ」の掛け声だけでは無責任だろう。それぞれに子どもを望まない理由、望めない事情がある。まずは当事者たちの声に耳を傾けることから始めよう。

 2013年、生活面は新連載企画「こんにちは! あかちゃん」に取り組む。望む人が産みやすい社会、晶子さんのように「産んでよかった」と思った人が育てやすい社会を目指して。


=2013/01/05付 西日本新聞朝刊=

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