【人の縁の物語】<2>菓子に受け継ぐ父の心 欧州出身のサイラーさん 福岡で開店20年

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「古里を大切にする気持ちが伝わればうれしい」と語るアドルフ・サイラーさん

 オーストリアと福岡との距離約9千キロ。それだけ離れて暮らしても、父の背中を見失わずに歩いてきた。福岡市南区にオーストリア菓子の店を構えて20年目になるアドルフ・サイラーさん(49)。母国で100年続く実家の老舗は継がなかったが、本場の味を日本に伝えることで、同じ職人である父の心を受け継いでいる。お店を訪ねた。

 緩やかな坂の途中にある住宅街の一角に、おとぎ話に出てきそうな西洋風木造建築の店が立っていた。ケーキやパンがずらりと並ぶ店内で迎えてくれたサイラーさん。「最初は言葉が通じなくてね」。すっかり板についた日本語で、異国での繁盛記を話し始めた。

 初来日は21歳。「経営を学ばせよう」という父の勧めだった。父の知人の紹介で福岡にある「千鳥屋」の系列店で働き始める。日本語の勉強はして来なかったが「お菓子の材料は同じだから」。卵に小麦粉、生クリーム。何より、父譲りの腕が強い味方になった。

 5カ月目、スポーツジムで一人の日本人女性と出会う。ドイツ語を学んだことがあり会話が弾んだ。交際が始まり、2年後に結婚。公私とも「成長」を手土産に1986年、帰国した。

 翌年に長男が生まれ、店を継ぐのに必要な資格も取り、準備は整ったはずだった。ところが、そのころから父との関係がぎくしゃくし始める。相変わらず下積みが続き、自由時間もわずか。たまに買い物をしに隣町へ繰り出すと怒られた。

 今考えると、店を継ぐ者として地元を大切にしなさい、というメッセージだった。父はあいさつや礼儀を重んじた。職人としての腕だけでなく、人としての成長を求めていたのだった。「それが当時は分からなくて…」。妻も異国の環境になじめず、次第に気持ちを沈ませていく。「家族のために日本に帰る」。そう宣言した時の残念そうな父の顔が忘れられない。

 89年に再来日。もう後戻りはできない。必死に働いた。一方で3人に増えた子どもには礼節を厳しくしつけた。「いつかは親から離れる。早く一人前になってほしい。あいさつで友達も増えるでしょ。苦しい時の支えになるから」。父と同じ立場になって、子の成長を願う親の気持ちが分かった気がした。次第に父に連絡する回数が増え、子育てや仕事のことで相談するようになった。

 94年、今の場所に店を構える。父は土地を売って資金を援助してくれた。目指すのは「扉を開けたらまるでオーストリアへ来たような雰囲気が味わえる店」。父たち家族をいつでも思い出せるようにしたかった。

 店は繁盛し多忙な毎日。半面、家庭が遠のき、妻との衝突が増えた。不眠が続き、うつの初期状態と診断される。「このままでは家庭も店も両方失ってしまう」。夫婦で話し合い、子どもの成長を待って2008年、互いに新たな道を歩むことを決めた。

 店は今、従業員35人を抱えるまでに成長した。11年には日本人女性と再婚し、子どもも授かった。

 実家の店は弟が継ぎ、父は74歳になった今も元気に手伝っている。「自分にはその年まで現役でやる自信はない。お父さんは職人としてだけでなく、人生の先生として尊敬している」。父の背がいつまでも大きく見える。

 「オーストリア菓子 サイラー」=092(551)7077。


=2013/01/15付 西日本新聞朝刊=

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