【人の縁の物語】<6>“難病” つらい時こそ笑顔で ブーケ作り 願い込め 佐賀の浦塚さん

 笑顔が笑顔を呼ぶ-そんな思いで佐賀市の浦塚善江さん(50)はブーケを手作りしている。原因不明で明確な治療法のない線維筋痛症に苦しみながら、ブーケを贈った相手の喜ぶ顔に元気をもらい、乗り越えてきた。28日には佐賀市内の会場で作品を披露する。「つらい時こそ笑顔」とメッセージを込めて。

 初めて手掛けたのは23歳、友人の結婚式に招かれた時だった。造花を組み合わせて手作りしたブーケを渡すと、満面の笑みを返してくれた。その顔がつらさを一瞬、忘れさせてくれた。

 ずっと、つらかった。18歳で「針で刺されるような痛み」に襲われ、肩や腕、背中や腰にも広がった。就職したものの1年半で退社。「当時は病名すら分からず、痛みを周りに理解されなくて、怠けているように見られたり…」。それは20歳で結婚してからも同様で、夫との関係もうまくいかなくなっていた。

 初めてのブーケは結婚して3年、思うように体が動かない中で育児に苦闘していたころの作。友人の笑顔が忘れられず、その後も姉の結婚祝いなどでプレゼントした。

 その間にも病状は進んだ。相変わらず原因すら分からず、ふさぎ込む日が増え「生きていてもしょうがない」と追い詰められてしまう。2005年、心を患い入院した。

 そこでも笑顔に救われた。ある男性患者が病室をノックする。「見においでよ」と院内の工作教室に誘われた。手足が不自由で助けがないと食事もできない彼は自分よりもっとつらいはず。なのに、いつも、誰に対しても笑顔だった。

 「笑顔で周りを笑顔にさせる。私もあんなふうにできたら」。退院後、約20年ぶりにブーケを作ってみることにした。

 贈る相手は結婚する三女。早ければ3日でできるが、体調が悪いと1カ月かかる。それでもブーケを手にバージンロードを歩く娘を思い浮かべると、つらさが遠のいた。

 式当日、終盤にあったスライドショーで「ブーケ作製・浦塚善江」とテロップが流れた。娘夫婦の演出だった。「つらさの何倍もの達成感、充実感を味わえました」。続けようと心に決めた。

 これまでに手掛けた作品は約20点。今は28日に佐賀市である「希少・難治性疾患患者の交流会」に向けて制作を進めている。「一緒に頑張ろう、と伝えられたら」と7点ほどを披露する予定だ。

 自身は2年前、ようやく病名が判明した。NPO法人・線維筋痛症友の会(横浜市)によると、患者は推定約200万人。明確な治療法は確立されていないが、厚生労働省の難病指定に入っておらず「早く治療法が見つかれば、みんなが笑顔になれるのに」と願う。

 病状はさらに進み、最近は外出に車椅子が手放せなくなってきた。それでも「つらい時こそ笑顔」と浦塚さん。新しいブーケは完成間近だ。

=2013/02/19付 西日本新聞朝刊=

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