南風原の学童疎開

疎開先で授業を受ける沖縄の子どもたち。1944年ごろ、宮崎県内で撮影(那覇市歴史資料室提供) 拡大

疎開先で授業を受ける沖縄の子どもたち。1944年ごろ、宮崎県内で撮影(那覇市歴史資料室提供)

対馬丸とともに九州へと向かった和浦丸(三菱重工業長崎造船所史料館提供)

 太平洋戦争末期の1944年。沖縄県南風原町からは8月と9月の2回にわたり九州への学童疎開が実施された。第1次は熊本県(日奈久、上松求麻の旧国民学校)、第2次は宮崎県(高鍋、三財、上穂北、美々津の旧国民学校)。

 子どもたちが疎開した翌年の45年3月以降、古里では国内最大の地上戦が繰り広げられた。同年4月、沖縄本島中部に上陸し進攻する米軍に対し、日本軍は南部に撤退、自然洞穴などに避難した一般住民も巻き込まれ被害が拡大した。

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