いじめ止められず後悔 

河野雄三さん(80)

 〈沖縄県糸満市から宮崎県都農町に学童疎開してきたうち9人が同級生。4人が同じクラスで机を並べた。その一人が山城光政さんだった〉

 色が黒くて、明るいおしゃべり屋さん。大人は大変な思いだったでしょうが、私たちには分からなかった。一緒に遊びましたよ。例えば戦争ごっこ。年長者が部隊長になって、山に入って「進め~」「撃て~」なんて号令掛けていました。

 いじめも目にしました。「よそもん、よそもん」とガキ大将が、疎開してきた子を泣かせていた。今でもすまない気持ちです。

 〈空襲が町を襲うようになり、毎夜のように都会に向かう爆撃機の音が上空に響いた〉

 危ないというので学校には行かず、地域のお寺などに先生が回ってくる分散教育になりました。山城君とは地域が違うので会わなくなり、戦後、沖縄に帰ったのも知らなかった。

 〈1984年、糸満市と都濃町の交流が始まり、今も続く。だが沖縄の友は、苦しみをあまり語らない〉

 家族を亡くして生きてきた苦労は想像もできない。戦時中、「沖縄の次は宮崎」と言われていただけに、沖縄が盾になってくれたようで本当に気の毒に思う。毎年夏になると、同級生のことが気にかかります。 
(宮崎県都農町)

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