【人の縁の物語】<10>育てた競輪選手81人 福岡・祐誠高 指導38年 手島さん引退

 こぎ続けなければ、自転車は止まってしまう。私立祐誠高校(福岡県久留米市)で38年間、自転車競技部を率いてきた手島又喜さん(72)の指導者人生が、まさにそうだった。素人からスタートして全国の強豪校へと育てていく姿を、生徒たちは追い続け、プロ選手として81人が巣立っていった。今月末、引退。銀輪の世界を走り続けてきた名伯楽がゴールの時を迎える。

 信念がぶれることはなかった。「競輪選手にならせんといかん」。スポーツ指導者というより、職業訓練の教官を自任してきた。手腕を頼って九州一円、遠くは関東から競輪選手を夢見る生徒が集まってきたからだ。

 公営ギャンブルの人気低迷で下降傾向にあるとはいえ、競輪選手の平均年収は1100万~1200万円。腕一本ならぬ脚二本で稼ぐ。そうして生き抜く力は、自転車競技に限らず、社会に出る直前の年代にこそ身に付けてもらいたいこと。特に指導を始めた1970年代は、競輪選手になって貧しさから抜け出したいハングリーな生徒ばかりだったという。

 「強くなるには1秒でも長くペダルを踏むしかない」。365日、休みなし。トラックやロードで過酷な実践練習を課した。一方で、筋力トレーニングや食事面のケアなど科学的な強化策を早くから導入。「長く自転車に乗せたくても睡眠や授業で限界がある。練習の効率を少しでも上げたかった」との思いからだ。

 監督就任3年目で初の全国高校総体に出場。14年目の1988年高校総体で全7種目入賞の総合優勝を飾り、2001年にも2度目の快挙を達成した。就任3年目から定年退職で監督から総監督に退いた03年までの25年間、毎年、競輪選手を生み出し続けた。

 生徒に厳しかった鬼教官は、自分にも厳しかった。1975年の創部時から指揮を執ったが、中学時代の部活動で陸上の長距離をかじった程度。高校、大学は「帰宅部」で、まったくのゼロからのスタートだった。

 それでも「引き受けたからには中途半端はいかん」と猛勉強を始めた。全国行脚して先輩指導者たちに教えを乞うた。世界選手権プロスプリントで10連覇を達成した地元・久留米のスター、中野浩一さん(57)にも直談判して助言を仰いだ。そして少しずつ自らの指導法を磨いていった。

 「自転車競技はペダルを踏んだ分だけ結果が出る。勝利して選手が泣きながら喜ぶ姿を見るのがうれしくてね。それでやめられなくなって。気が付いたら70歳超えてたよ」。ガハハハと豪快に笑う。今まで200人を超える教え子の結婚式で式辞を頼まれたという。

 毎朝4時に起き、福岡市中央区の自宅から1時間半かけて車で通勤。学校に着くと校内の草むしりとごみ拾い。祐誠高校の教師になって43年間、欠かさず続けてきた日課だ。「この学校と子どもたちが好きだからね」

 自ら手作りした花壇にパンジーが色づき始めた。名伯楽の労をねぎらい、別れを惜しむように。

=2013/03/19付 西日本新聞朝刊=

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