【人の縁の物語】<12>障害ある娘への手紙 命の力と愛情に感謝 福岡・久留米市川村知子さん 一日一日を大切に

 母から娘に宛てた一通の手紙が本紙に届きました。差出人は福岡県久留米市の川村知子さん(42)。脳性まひの友乃(ゆの)さん(10)が通う久留米特別支援学校の「2分の1成人式」で読むためにしたためたそうです。アルバムや育児日記で振り返りながら一言一言かみしめ、約1カ月かけて書き上げた娘への思い。その手紙を投稿したのは、同じ境遇にある親の手記に救われた経験があり、自分も「頑張る力」を分けてあげられたら-と思ったからだそうです。手紙を紹介します。

 予定日より3カ月も早く、わずか835グラムと小さく小さく生まれてきたあなた。全身麻酔で意識のなかったママは4日目に初めて対面しました。

 手のひらに乗せてしまえるほど小さなあなたは保育器の中で人工呼吸器を装着し、体にはいくつものチューブやコードが付いていましたね。医師から、いつ死んでもおかしくない状態であること、命を取り留めても極めて重度な障害が残ることを告げられました。

 毎日面会に行き、病状説明がある度に胸が締め付けられます。保育器の位置が前日と変わっていたり、電話が鳴ったりすると、心臓が止まりそうになります。

 保育器のそばに置かれたあなたのカルテをこっそりのぞいてみると、出生時に付いた病名が全部で14。何度も何度も生命の危機に脅かされ、その度に、今度はもうだめだと絶望のふちに立たされました。

 でもあなたは見事に裏切ってくれて、7回もの手術を無事に乗り越えてくれました。本当にあの小さな体でよく頑張って生き抜いてくれました。

 あのころのことを思い出すと、今でも胸が張り裂けそうになります。今になって当時の医師や看護師さんから、勤務が終わって帰る時、明日出勤したらこの子はもういなくなってるんだろうと毎日思っていた、と言われます。医師から、できることは全て施しているのであとは祈るのみと何度言われたことでしょう。

 あなたを腕に抱くことも許されず、ただできるのは、保育器に消毒した手を入れ、そっとあなたに触れながら歌ってあげるだけでした。あなたが歌が大好きなのはきっとそのせいでしょうね。

 生きるか死ぬか分からないあなたの誕生に誰もお祝いを言えずにいた中、おばあちゃんだけは、1週間生きたから、2週間生きたからと、1週間生きるごとに大きなバースデーケーキを持って病院に来てくれましたね。

 どうにか状態が落ち着くのに2年かかりました。7キロまで大きくなっているのに、退院の朝まで保育器の中から出てこられなかったあなたを初めて自宅に連れて帰る時は、重度障害の悲しみより、あなたをママの腕に、誰の許しも得ずに抱ける喜びが大きく、ただ死なせまいと必死でした。

 NICU(新生児集中治療室)でも小児ICUでも人気ナンバーワンと言われたあなた。何もできず、ただ横たわっているだけなのにどうしてと思いましたが、今になってよく分かります。

 退院の日から今日までにあなたは不思議な力を見せてくれました。これだけの障害があり、人の力を借りなければ生きていけないあなたに、人は、ゆのちゃん、ゆのちゃんといつも手を差し伸べてくれ、重労働のお世話をしてくれる人でさえ、癒やされて一日の疲れが取れると言ってくれます。外出しても知らない人が寄ってきてくれます。

 本当にたくさんの愛情と祈りの中で生きてきましたね。あなたのおかげで、ママもみんなから支えてもらい、感謝することを知りました。病気の心配をしましたが、あなたの障害を全く悲観せずにここまで来られたのは幸せなことです。

 唯一悲しいとすれば、医師から常にリスクが高いと言われるゆえ、普通の子より早くお別れの日が来るかもしれないということです。人に安らぎを与えるために、みんなからたくさんの愛情をもらうために生まれてきたあなた。もしそういう日が来るとするなら、それは、あなたがもう十分に愛情を受け取り終えたということでしょう。そう思うことにしています。

 これからも命のある一日一日を大切に過ごしていきましょうね。あなたがいてくれてママは幸せです。ありがとう、ゆのちゃん。ママより。

=2013/04/02付 西日本新聞朝刊=

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