55歳 病床の中学生 きくちゃん “ありがとう”っていっぱい言いながら生きていきたいなぁ 感謝を詩集に 世界広げ

詩集「きくちゃんの詩」<br /> 拡大

詩集「きくちゃんの詩」<br />

 両方の手足のまひで12歳からずっと病院のベッドの上で過ごしながら、50歳を過ぎて詩集を出版し、自分の世界を広げている障害者が長崎市にいる。「きくちゃん」こと平田喜久代さん(55)。現在、長崎特別支援学校の中学3年生だ。昨夏に出版された詩集「きくちゃんの詩(うた)」を携えて、病室のきくちゃんを訪ねてみた。

 《私は手も足も動かないけど ことばはわかります “ありがとう”っていっぱい言いながら 生きていきたいなぁ…》

 「おとといは年に1度の外出日で、何とショッピングセンターに行ってきたんですよ」。きくちゃんを介護する妹の山口まゆみさん(53)=長崎県諫早市=が病室まで案内してくれた。外出にはまゆみさんや医師、看護師ら計6人が付き添った。「ちょっと疲れたけど、うれしかった」ときくちゃん。「大好きな猫の本とコップが買えたから」。なるほど、ベッドの周りは猫のぬいぐるみでいっぱいだ。「去年は生まれて初めて水族館でペンギンを見たね」。まゆみさんがほほえむ。

 《虹を見ておねがいをしたら かなうだろうか たぶんだめかなぁ 歩きたかぁ もう》

 きくちゃんは1958年生まれ。出産の際、脳にダメージを受け、重い手足のまひと言語障害が残った。母の平田カシ子さん(79)はいくつもの病院を訪ね、手足の温熱マッサージを続けた。ある時、介護に疲れ果てたカシ子さんが「まんまんちゃん(仏様)になろうか」と漏らした。すると、きくちゃんは「そんなの嫌。死にたくないよ」ときっぱり拒絶した。「生きる強さが、姉には幼い頃からみなぎっていた」とまゆみさん。だが、家庭での治療と介護は限界で、きくちゃんは12歳で入院することに。「その日は家族みんなで泣きました」

 《私がたんぽぽを見つけたのは お母さんがまだ元気で 私の車いすを押してくれていた頃 フーッとふいてみたら 小さなほうしが パーッとひろがって飛んでいきました 私もいっしょに飛んで行きたかったなぁ》

 11年前、きくちゃんは脳幹部の障害で生死の境をさまよった。カシ子さんは朝から晩まで介護を続け、翌年に脳梗塞で倒れた。まゆみさんが看護師を辞め、母と姉の介護に専念した。姉妹に転機が訪れたのは、きくちゃん52歳の冬だった。

 《おばちゃまですけど 私 小学生です ずっと昔から学校は行ってみたかったから なんと言われてもうれしいです 必死で頑張っていると 神様がごほうびを下さる》

 2011年1月、きくちゃんは特別支援学校に編入され、小学6年生になった。長崎県教委が、教育の機会を逃した障害者の受け入れを始めたのだ。担任は大原万里亜(まりあ)さん(43)。病室を週に3回訪ね、一緒にアクセサリーを作り、生の楽器の音を聴かせた。きくちゃんが以前、詩を作っていたことを知り、「また作ろうよ」と勧めてくれた。

 かすかな声できくちゃんが読み上げる言葉を、まゆみさんがノートに拾い、言葉を練って詩に仕上げる。誕生日に「お母さん 私を産んでくれてありがとう」と詠んだ。元気な人が自殺したニュースを見て「頭にくるぞー もったいないぞー」と訴えた。人工呼吸器につながれた喉から、前向きなメッセージが次々と生まれた。それが、大原さんの奔走で詩集になった。

 《私は今生きている キラキラと 一生懸命に生きようと思う》

 詩作の再開後、うれしい出来事が続いた。「キラキラ」という題の詩が大原さんやプロの手で歌になった。女優の大地真央さんが大浦天主堂で詩を朗読してくれた。長崎市内の小学校できくちゃんのことが紹介され、子どもたちから手紙が届くようになった。「僕は大きくなったら科学者になり、きくよさんが歩ける機械を作ります」「私は元気に学校に行けることに感謝します」。きくちゃんとまゆみさんは、涙をぼろぼろ流しながら手紙を読んだ。

 《あなたの優しさとあたたかいことばで 私はとても幸福(しあわせ)になれるんです 私は愛の中で生きているよ》

 きくちゃんの今の夢は「詩のCDを出すこと」。より多くの人に自分の詩に触れてもらいたいからだ。きくちゃんの世界は、まだまだ広がっていく。

=2013/06/06付 西日本新聞朝刊=

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