恋した少女に命救われ

佐賀県唐津市 浜田満男さん(89)

 安保関連法案に反対する国会周辺のデモをニュースで見ると、労働組合員として安保闘争に参加した半世紀ほど前を思い出します。当時、学生に原爆について話しても、彼らは目の前のことで頭がいっぱいなのか聞いてもらえなかった。仕事場でも被爆者と分かると「放射能がうつる」と言われました。でも、被爆者であることを隠しはしなかった。

 〈佐賀県北山村(現佐賀市)で生まれた。原爆が長崎市に投下されたときは19歳。同市の三菱兵器製作所大橋工場に勤務していた。そのころ、言葉を交わしていた、当時の長崎高女生がいた。学徒動員で働きに来ていた〉

 彼女は二つ下で、「道子」といいました。仕事場を通りかかったとき、私が切ったパイプで滑って転んだのが縁で話すようになっていました。切れ長の目。浅黒い肌に白い歯がまぶしく、「長女報国隊」と書いた鉢巻き姿がりりしかった。きょうだいでも一緒に外を歩くと警官に怒られるような時代。周りに気づかれないように文通し、彼女が通りそうな時間、場所で待って一言、二言話すのが楽しみでした。

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