[満州事変] 「中国の仕業」疑わず

 1931年9月18日、中国の奉天(現遼寧省瀋陽)郊外の柳条湖で始まった満州事変。福岡日日新聞は19日付の号外=(1)=で陸軍省からの一報を伝えた。

 〈暴戻(ぼうれい)なる支那(中国)軍は満鉄線を破壊し我が守備兵を襲ひ駆けつけたる我が守備隊一部と衝突せり〉

 関東軍の謀略が明らかになるのは戦後になってからだった。紙面に、中国の仕業とする軍の発表を疑う記事は見当たらない。

 それまで福岡日日新聞の論調は軍縮推進だった。17日付の社説では海軍の戦闘艦や航空母艦の全廃を求めており、事変当日も「戦艦廃止問題と英米」を掲載していた。満州事変を境に、福岡日日新聞を含め、軍縮推進を提唱していた多くの新聞が軍拡路線を支持する論調へと変わっていく。

 24日付の社説は、戦線を広げる軍部に対し、不拡大方針をとった幣原喜重郎外相を厳しく批判した。〈幣原氏の所謂(いわゆる)平和外交なるものが、心細く、無為であるかを知る以外に、能(よ)く平和を信じて、国際的共存共栄を楽しむことはできない〉

 当時の紙面と論調の急変について、1951年に編さんされた社史では「右翼運動に乗ずべきスキを与えるに至った一部の責任を負わねばならぬものがある」と自己検証している。

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