【人の縁の物語】<22>共同参画 短歌に願い 福岡市文学賞 池野京子さん 社会進出の先頭で

「女性の地位向上のための活動は詠みたい大きなテーマでした」と語る池野京子さん 拡大

「女性の地位向上のための活動は詠みたい大きなテーマでした」と語る池野京子さん

 社長、PTA会長、教育委員、調停委員、保護司…。昨年度の福岡市文学賞に選ばれた歌人、池野京子さん(81)=同市博多区=にはかつて、さまざまな顔があった。女性の社会進出が叫ばれる前夜から、時代の先頭を走ってきた池野さん。立場を変えながらも、男女共同参画社会の実現を願う思いを一貫して短歌に託してきた。

 《残照の海に対(むか)ひてたくましく生きむと思ひし吾(われ)若かりき》

 戦後、福岡女子大学の1期生として生化学を研究した。大学教授の父は「勉強が大切なのは男も女も関係ない」と考える人で、子どものころから「男女は平等で当然」という環境で育った。

 大学を出て萬蔵(まんぞう)さん(82)と結婚する。夫の実家は住宅関連会社を経営していて、自身も1968年に子会社の社長を任された。女性経営者は珍しかったが、高度経済成長の波にも乗った。

 4人の息子を育てながらの両立生活に余裕が出てきた75年、本格的に短歌を始める。「日常の喜び、悲しみ、怒り、政治や社会への憤慨を書き留めたい」。歌人の宮柊二が主宰する「コスモス短歌会」に加わった。

 同じ年、息子が通う小学校のPTA会長を引き受ける。校長から「これからは女性の時代。ぜひ」と請われ、市内で2人目の女性会長となった。81年からは4年間、福岡県の教育委員も務めた。

 《歓迎の宴の主賓の吾のほか居並ぶ人はみな男なり》

 女性委員の就任は約20年ぶり。そこでは男女平等教育の手引きを作るよう提案した。中学校では女子が家庭科、男子は技術科を学んでいた時代。「性別で教科を決めるのはおかしい」とも訴えた。

 《家庭科の男女共習を説く吾にはぐらかす如(ごと)き反論の出づ》

 手引きは退任後に実現し、90年代に入ってから中学校での家庭科の男女共修が始まった。

 84年、福岡県が男女共同参画の先進地に派遣する「女性研修の翼」の団長に任命される。カナダ、そして米国へ。

 《「市議会の良心」と市長は紹介す幼二人の母親議員を》

 一方、当時の日本で、議会で活躍する女性は少なかった。国会議員に占める女性の割合は4%に満たない。帰国後、触発された団員から3人の地方議員が誕生する。

 《婦人の声市政に届くる使者たれと友の当選胸熱く祈る》

 その後、離婚などを扱う家庭裁判所の調停委員を14年、犯罪や非行をした人の更生を支える保護司を20年務めてきた。

 《離婚する父と住みたしと言ふ男(を)の子描きたる絵は父に背を向く》

 《バイクを盗(と)りシンナーを吸ふと聞きたるに会へばつぶらな瞳の少女》

 男女共同参画社会の実現は、まだ道半ば。そのしわ寄せが家族関係、そして子どもに及んでいないだろうか…。80歳を前に公職は退いたが、時々は講演に出掛けて訴え続けている。

 「女性の管理職は少ないし給料の格差もある。政策を変えるには女性議員を増やすしかないんです。女性が生きやすい社会は、男性も生きやすい社会ですよ」


=2013/06/25付 西日本新聞朝刊=

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