「井上ひさしと考える日本の農業」から<下>「コメは輸入できても環境はできない」 市民も問題意識持て

生活者大学校で語る井上ひさしさん(左)と山下惣一さん=2006年、「遅筆堂文庫」提供 拡大

生活者大学校で語る井上ひさしさん(左)と山下惣一さん=2006年、「遅筆堂文庫」提供

 「農業の根本は成長ではなく循環にある。それを経済学者は停滞と呼ぶ」‐。作家の故井上ひさしさんが1988年、出身地の山形県川西町に開いた「生活者大学校」で、教頭を務めた農民作家の山下惣一さん(佐賀県唐津市)はそう語る。4日公示の参院選を前に、新著「井上ひさしと考える日本の農業」(山下惣一編、家の光協会、1470円)を手元に置きながら、今の農業論議に欠けている視点を考えた。「上」は6月26日に掲載。

 ■「無知の無知」

 「産業界は工夫し、競争して生産性を向上させてきた。しかるに農業は…」。日進月歩の工業に比べ、歩みの遅い農業には常にこうした物言いがつきまとう。

 命を相手にする農業。大自然の摂理が人間の都合に合わせられない以上、工業並みに「進歩」するわけがないと、井上さんは言う。

 《人間の手のひらの上で通用するものの進歩は早いが、人間を超えるものとの合作は進歩がのろい。工業と農業とを同じ土俵で論じるのは無知の無知。サッカーチームに向かって野球のルールを守らないのはケシカランと言っているようなものだ》(1993年「大きな視野でコメの話」)

 「農業を法人化し、企業的経営を取り入れればうまくいく」とする改革論も根強い。だが、2010年の農業経営統計調査によると、国が育成しようとしている15ヘクタール以上の大規模稲作農家ですら、平均時給は1275円。経営の主体が変われば改善されるのか。井上さんは予言している。

 《いま財界などが考えているのは農地法の改正。現在、農地は他の用途に転用できないが、規制が緩和されれば、まず大手の外食産業や商社が土地を買い出し、封建的な地主‐小作人制度が再現する。でも大企業といえどもコメ作りで利益を出すことはなかなかできない。土地を手放すか、手放さないまでも、そこにホテルかマンションでも建てようと考えるだろう》(08年「日本人よ、今こそコメを食べよう」)

 ■見えない機能

 目には見えにくいが、農業には食料生産以外に国土保全や水の涵養(かんよう)といった多面的機能がある。

 《例えば「おれは絶対に飛行機に乗らないし、空港も利用しない。だから空港の建設費や維持費は空港を実際に使う人が払うべきだ」と言う人がいたら、皆から笑われる。それは直接空港を利用しなくても、目に見えない恩恵を受けているからだ。水田もそれらの公的施設と同様の社会的装置であり、空港などを維持管理するように、水田にもきっちりカネをかけ、維持管理することが必要だ》(1992年「なぜ、私はコメの自由化に反対するか」)

 《コメが商品として市場に出ると、(諸外国に比べ)値段は確かに高い。でもその中に、ダムの代わりとか、空気をきれいにするなどの費用もすべて含むことを考えると、決して高くはない。コメは輸入できても、それら(環境)は輸入できないのだから》(90年「対談・いま問い直す 何のための自由化か」)

 2000年に始まった世界貿易機関(WTO)農業交渉の折、政府はこれを前面に出し、世界に理解を求めていたのだが…。

 ■私たちの責任

 空気、水、医療、住宅、教育などは、そこになくては意味がない。自動車のように労賃が高いから生産拠点を米国に移すとはならない農業に、市場・競争原理をそのままあてはめて論議すること自体に、そもそも無理があるのではないか。

 《しかし、日本の農業がこのような危機的状況に陥ったのは、何も政治家や国の偉い人たちだけのせいではない。私たちフツーの人たちにも責任がある。現状を変えねばという問題意識がなく、興味もないから、世の中を変えようとする市民の声が起こらない。それは農業に限ったことではなく、世界で大問題になっている核兵器も地雷も有害化学物質も、環境の悪化もまた同じ。私たちが責任を果たさないことで、さまざまなツケを次の世代に残している》(2003年「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」)

 「60年たつと生きている人間が入れ替わり、再び同じ過ちを繰り返すという。思考回路が一方通行になっている傾向に危機感を抱く人は少なくない」。そう語る編者の山下さんは、井上さんのメッセージを紹介し、本の締めくくりとした。

    ◇   ◇

 『100年後の皆さんへ、僕からのメッセージ』

 100年後の皆さん、お元気ですか?

 この100年の間に、戦争はあったでしょうか?

 それから地球が駄目になるのではなく、地球の上で暮らしている人間が、駄目になってはいないでしょうか?

 僕たちの世代は、それなりに一生懸命に頑張ってきたつもりですし、これからも頑張るつもりですが、できたら100年後の皆さんに、とてもいい地球をお渡しできるように、100年前の我々(われわれ)も必死で頑張ります。

 どうぞお幸せに。


=2013/07/03付 西日本新聞朝刊=

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