昭和流行歌編<165>松平 晃 亡き兄への思い

亡き兄への思い佐賀の公演先で松平(左から2人目) 拡大

亡き兄への思い佐賀の公演先で松平(左から2人目)

 松平晃はヒット曲にも恵まれ、歌手としては順風満帆な道を進んでいた。こうした上り調子の中でも大きな喪失感を抱くできごともあった。それは現在の京都大学に学んでいた兄、新の結核による夭逝(ようせい)だった。

 新は松平が佐賀時代、周辺の反対もあって音楽への進路を迷っていたとき、「好きな音楽の道を進め」と、背中を押してくれた唯一の応援者だった。

 松平は1932(昭和7)年に「口笛吹いて」(キングレコード)という曲を吹き込んだ。当時はまだ学生だった。歌詞カードなどで使用する写真について当時、同社の文芸部長だった清水瀧治にこう申し出る。

 「これは僕の亡くなった兄です。私は学生でもあるので、私の写真は使えませんから、暫(しばら)くこの兄の写真を使いたいと思います」

 自分を精神的に支えてくれた兄への感謝の気持ちだっただろう。もう一つ、兄にまつわるミステリーがある。

 松平のディスコグラフィーを調べていると、1937年に発売された「あこがれの丘」(コロムビア)の作曲者名は「福田新」になっている。松平の本名は福田恒治。すでに死去している兄の名前が記されている。

 兄が生前に作っていた曲なのか。兄は音楽畑ではない。その可能性より、松平が作曲して兄の名前を使った、という見方の方が自然だ。事実、翌年発売の「石と兵隊」の作曲は「福田恒治」と本名を使っている。作曲も手がけていた。なぜ、兄の名前にしたのか。本人はなにも語っていないが、兄の名前を永久に刻みたい、との思いがあったのかもしれない。それは故郷の佐賀、九州につながる望郷の念でもあっただろう。

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 地方都市にも新しい動きが出ていた。地名ソングの流行だ。

 〈赤い灯青い灯 道頓堀の 川面にあつまる恋の灯に なんでカフェーが忘らりょか〉 

 この1928年のヒット作「道頓堀行進曲」に続いて、翌年の「東京行進曲」もヒットし、これを受けて地名を冠した「○○行進曲」がブームになる。松平も「大青森」「大秋田」「大盛岡」をはじめ、「九州」「八幡(福岡県)」などの行進曲を歌っている。1936年の「八幡行進曲」の歌詞。

 〈鉄の響きで朝露はれて 街を彩る鉄火のひかり 景気渦巻く煙の都 伸びる八幡の色模様〉

 こうした現在のご当地ソングにつながる地名ソングの流行の背景はなんだったのか。こういう見方がある。

 「それまでの民謡といった伝統文化からジャズなどのモダン文化が地方都市にも入り、(生み出されたのが)新しい音楽による郷土のアピールソングではないか」

 松平は故郷・佐賀の「葉隠れ行進曲」も歌っている。松平は亡き兄を思い浮かべながら吹き込んだのではないだろうか。 =敬称略

 (田代俊一郎)

=2013/07/09付 西日本新聞夕刊=

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