江戸の韓流 朝鮮通信使<6>接待 サミット級のグルメや宿

 朝鮮通信使は今でいう「国賓」。幕府に接待を命じられた各藩は、最高の宿と食事でもてなしました。中でも通信使が「日本一の絶景」とたたえたのが、広島県福山市・鞆(とも)の浦の高台に立つ「対潮楼」です。

 東に緑鮮やかな島々、南は陽光にきらめく海。ここからの眺めは、柱を額とした一幅の絵のよう。1711年に訪れた従事官(記録係)李邦彦(イ・バンオン)が感激し、「日東第一形勝」と賛辞を揮毫(きごう)したのもうなずけました。

 対潮楼は1690年代、通信使高官が宿舎にしていた福禅寺境内に、福山藩がわざわざ建てた客殿です。「通信使が来た頃の景観と地形を残す所は他にない」。鞆の浦朝鮮通信使研究会の戸田和吉代表(65)はそう自慢します。

 一方、味自慢なら瀬戸内海に浮かぶ広島県・下蒲刈島でしょう。アワビの貝盛り、伊勢エビの舟盛り、カモ肉のなます-。広島藩は地元の最高の食材を使って三汁十五菜(3種の汁と15種のおかず)を提供し、通信使に同行した対馬藩主から「安芸蒲刈御馳走(ごちそう)一番」と評されました。地元の資料館に展示された膳の複製はいかにも豪勢です。

 こうした接待には大変な労力と費用がかかりました。1682年の第7回通信使を迎えた福岡藩は1年近く前から準備を開始。相島(あいのしま)=福岡県新宮町=に客館を建設し、港に波止(はと)=防波堤=を整備しました。派遣された作業員は3500人、新宮町史によると、費用は現在の4億6600万円相当だったとされます。

 通信使を研究する福岡県須恵町の中学校教諭吉田智史さん(38)はその熱の入れようを「サミットと同じ構図」と解説します。「幕府は力を誇示するため、藩は幕府ににらまれないよう精いっぱいもてなした」

 しかし、高官の申維翰(シン・ユハン)が「経費の鉅万(きょまん)=多い=なること、その国力の富饒(ふじょう)=豊か=なることが知られる」と記したほどの出費は藩財政を圧迫。次第に通信使往来の障害になっていきます。

=2016/08/04付 西日本新聞朝刊

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