おひな様は右?左? 「謎」-八女で専門家に聞く 「箱びな」は伝統工芸の結晶 福岡県

 3月3日はひな祭り。各家庭でひな人形が飾られ、筑後地域の各地ではさまざまなイベントが開かれている。八女市中心部で開催中の「雛の里・八女ぼんぼりまつり」で、民家や店舗など約100カ所に展示されたひな人形を見て回るうちに、いくつかの疑問が湧いてきた。江戸時代から現代までひな人形の生産地である八女で、ひな人形にまつわる不思議を専門家に尋ねた。

 真っ先に疑問に思ったのは、最上段に飾る男びなと女びなの位置だ。おひな様が向かって右側の家と、左側の家がある。どちらが正しいのだろう。

 「現在はひな壇に向かって左に男びな、右に女びなが標準的な飾り方です」。そう語るのは、日本人形協会の広報委員を務める福田喜作さん(59)だ。ただし左右が逆でも間違いではないという。日本では古来「左が尊い」とされ、かつては向かって右が男びなだった。伝統を重んじる京都のひな飾りは昔ながらの飾り方を残している。

 いつから男びなと女びなの位置が逆転したのか。福田さんによると、きっかけの一つが昭和天皇の即位の礼だという。「世界各国の要人が参列する中、右を上位とする国際儀礼に従って天皇が向かって左、皇后が右に並んだことで、その後のひな飾りも倣ったといわれています」

 次は「箱びな」。まつり会場では豪華なひな飾りよりも、男びな女びなが1体ずつ木箱に収められた箱びなが目につく。八女地方独特の郷土びなで、江戸時代から昭和30年代まで作られ、九州各地に広がった。誰が作り始めたのだろうか。

 福田さんは「仏壇やちょうちんなどの伝統工芸品を育んできた八女の仏壇職人や大工が、副業として注文に応じて作っていた」と説明する。ひな祭りの文化は江戸時代に庶民に浸透するが、京や江戸のような豪華な段飾りには手が出せなかった。それでも子どものために手に入れたいという庶民の願いを、職人たちが受け止めて生み出したのが箱びなだった。

 造形は衣装が鮮やかな「古今びな」や大型で優雅な「享保びな」といった江戸時代に作られた人形の影響を受けているという。ただ、衣装に仏具の布、冠などの金具にちょうちんの部品を使うなど、職人が周りにある材料を利用して値段を抑えた。「他の郷土びなが土や紙製だった中、箱びなは今も産業として生き続ける八女の伝統工芸が集結したひな人形と言えます」

 最後の疑問は、箱びなの「背中」だ。一般的なひな人形は衣装の裾が後ろに広がっているのが分かるが、箱びなの場合はどうなっているのだろうか。

 300体以上のひな人形を展示する横町町家交流館で特別に見せてもらった。すると、前面の精巧さから想像できないほど簡素なものだった。福田さんは「箱に収めることが前提だから」と解説した後、こう付け加えた。「最初に関西や江戸でひな人形を見た職人も裏側までは見ることができず、作り込めなかった面もあると思います」

 箱びなを見比べると、作られた時代によって装いが変わっている。物が豊富な平和な時代には金襴(きんらん)がふんだんに使われ、戦後の何も無い時代は紙製だった。しかし、共通して感じたのは、いつの時代も子どもたちを笑顔にするために、一対の人形にできる限りの技術を注いだ八女の職人たちの熱意だった。

この記事は2016年03月02日付で、内容は当時のものです。

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