爆心地は語る<1> 被爆71年の長崎 あんな地獄なかった 1人生き残った少女 絵本に

1人生き残った少女の体験を基に、紙芝居「爆心地の奇跡」をつくった三田村静子さん=1日午後、長崎市 拡大

1人生き残った少女の体験を基に、紙芝居「爆心地の奇跡」をつくった三田村静子さん=1日午後、長崎市

 原爆がさく裂した1945年8月9日の夕方、爆心地から100メートルほどの長崎市松山町の防空壕(ごう)で、名前を呼ぶ声に気付いて目を覚ました9歳の少女がいた。内田伯(つかさ)さん(86)らが作成した復元地図に記された「黒川」家の三女で、現在は千葉県で暮らす幸子さん(80)だ。一緒にいた2人の妹は傍らで息絶えていた。「小さな妹が爆風の衝撃を和らげてくれて、助かった」。家族の安否を心配して仕事先から戻ってきた父の背中で、いつまでも泣いていたという。

 長崎市が発行した長崎原爆戦災誌の松山町の章で、原爆が投下された時、町にいた人で「ただ一人の生存者」と記される。母ときょうだい4人で商店が並ぶ通り沿いの自宅にいた。午前10時半すぎ、2歳だった末っ子の五女が駄々をこねて泣きだした。裁縫仕事がはかどらず困っていた母に「防空壕に行って遊んでなさい」と頼まれた。

 五女を背負い、6歳の四女の手を引き、ござを持って家を出た。近くの防空壕前の広場に着くと、近所の子どもたちが遊んでいた。木陰で遊ぼうか、中に入ろうかと迷っていた時、飛行機の音がかすかに聞こえた。そして、壕に入った瞬間、ピカッと猛烈な光を感じ、吹き飛ばされ気を失った。原爆だった。

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