【揺らぐ裁き】(4)  汚名そそぐまで31年

「真犯人は時効で罪を問われず、私は名前さえ知ることができない」と語るオドム氏=米首都ワシントンの自宅 拡大

「真犯人は時効で罪を問われず、私は名前さえ知ることができない」と語るオドム氏=米首都ワシントンの自宅

 2010年春。米首都ワシントンのアパートに住むカーク・オドム元服役囚(51)を弁護士事務所の調査官が訪ねた。

 「カーク・オドムさんか」

 「そうだ」

 「あなたは無罪の可能性がある。DNA鑑定に同意するか」

 「もちろんだ」

 性的暴行罪などで懲役20~66年の有罪判決を受け、21年6カ月の服役の末、03年3月に仮釈放となったオドム氏。「暗い雲に覆われた人生」を一変させる、思わぬ知らせが届いた瞬間だった。

   ◇    ◇

 1981年2月24日早朝。ワシントンのアパートに男が押し入り、女性をレイプして逃げた。被害者は一瞬だけ男の顔を見ており「ひげをそった若い黒人だった」と証言、似顔絵が作成される。

 「この男は似ている」。ショッピング・モールの警備員だったオドム氏と話していた警察官はピンときた。家族以外のアリバイ証言もない。顔写真を見せると、被害者は「この男に間違いない」と証言した。同年5月4日、オドム氏は逮捕される。

 同年9月の陪審員裁判で「決定的な証拠」となったのは、連邦捜査局(FBI)による毛髪鑑定だ。色、形状などから現場に残されたものとオドム氏のものが「一致した」と結論付け、法廷で専門捜査官はこう証言した。「過去10年間で数千件の毛髪鑑定をしたが、違いが見分けられなかったのは10回未満だ」

 オドム氏は一貫して無実を訴えたが、陪審員は有罪を評決。19歳だったオドム氏はバージニア州の刑務所に送られた。

   ◇    ◇

 「恐ろしい場所だった」。オドム氏は刑務所生活を振り返る。囚人同士のけんかは絶えず、食器のナイフで刺し合う騒ぎが日常的に起きた。

 「私は性的暴行を受けた」。オドム氏は絞り出すように語った。身に覚えのない罪で服役したうえ同性からレイプされる恥辱。「正気を維持するには忙しくするしかない。図書館に行き、スポーツをし、料理担当として働いた」。オドム氏は振り返る。

 40歳となった03年3月に仮釈放。だが、「性犯罪者」としての登録が義務付けられ、足には衛星利用測位システム(GPS)で居場所を知らせる「電子手錠」がつけられた。様変わりした街並み。バスにも乗れなかった。それでも、道路清掃の指導員の仕事を得て、05年には結婚。失った時を少しでも取り戻そうと普通の生活を続けていた。

   ◇    ◇

 ワシントンのサンドラ・レビック弁護士は、81年の殺人事件で終身刑となり、27年間服役していた男性の無実を09年、DNA鑑定で証明した。この事件も、FBIの毛髪鑑定が「有罪」の決め手だった。

 「そういえば、私も同じ時期に似たような事件を担当した」。知り合いの弁護士の言葉で、すぐにオドム氏の居場所を捜した。

 11年2月、オドム氏のDNA鑑定を請求。12年1月、事件と「無関係」と判明する。同年7月13日、ワシントン特別区地裁はオドム氏の無実を宣告。逮捕から実に31年2カ月。オドム氏、50歳の誕生日だった。

 DNAデータベースで「真犯人」も判明した。だが、すでに時効が成立し、罪に問うことはできなかった。誤判と法の不備の隙間に落とし込まれたようなオドム氏の冤罪(えんざい)。「暗い雲は去り、嵐は終わった。だが、FBIからも被害者からも、いまだに謝罪はない」。オドム氏は静かに語る。

 当時、「最新の科学捜査」とされたFBIの毛髪鑑定。米司法省は昨年7月、80年代から90年代の約2万1700件に上る毛髪鑑定の再調査に着手した。一体どれだけの誤判を招いたか。結論はまだ出ていない。

 =おわり

 (この連載はワシントン宮崎昌治が担当しました)

=2013/07/23付 西日本新聞朝刊=

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